いて座
“逃げ場のなさ”の解消
逃げ先としてのまなざし
今週のいて座は、『客われをじつと見る猫秋の宵』(八木絵馬)という句のごとし。あるいは、真摯で純粋な関わりあいにこそ重きを置いていこうとするような星回り。
客である「われ」をじっと見ている猫がいたのだという。誰かよその家を訪ねていった先で出くわしたにしては、ハッとするような思いがけなさが感じられますから、古本屋だか質屋だかのお店に入って、何気なく棚を物色しているうち、こちらを「じつと見る」視線に気づいて、思わず振り返ったとか、そんなところでしょう。
もちろんこれ以上のことは句に描かれていませんから、あとは読者の側で想像をめぐらせる他ないのですが、「秋の宵」というどこかもの淋しい気持ちのする状況において、この偶然のまなざしの邂逅は思った以上に作者の胸に響き、その脳裏にこびりついたに違いありません。
オンライン上のコミュニケーションやSNSの発達を通じて「見られる」ことは、ますます値踏みや消費に直結し、暴力性を伴うようになりましたが、掲句の猫に向けられたまなざしにはきっと、そうした見られることにつきものの傷つきや、自分の価値が目減りするような嫌な感じがまるでなかったのではないでしょうか。
その意味では、たまたま出くわしたこちらを「じつと見る猫」の真摯なまなざしは、偶然であるにも関わらず、作者がずっと待ち望んでいたものでもあったはず。
9月18日にいて座から数えて「他者との関わり方」を意味する7番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、日ごろから交わしているまなざしの応酬において、いかに暴力性から遠ざかっていけるかがテーマとなっていきそうです。
街角に可能世界の響きあり
例えば、舞台演劇やミニシアター系映画の冒頭部などには、「あの」という呼びかけとそれに対する「え」という反応から始まるシーンを時たま見かけることがあります。
「え」という反応は、すぐに「えき?」という単語にスライドし、「分かりますか?」という交流に変わっていく。そうして両者の言葉がまじりあいつつもやり取りをくりかえし、「あの駅からこの道をまっすぐ行って、突き当りを右に曲がると」という道案内までたどり着くと、当初の不安げな危うい雰囲気はサッと消えてしまう。またもとの閉じた日常へと戻ってしまう。その、少しホッとするような、どこか残念なような、切ない気持ち。
あれは何だろう。そこで感じるのは、かすかな喪失の手触りと、あり得たかもしれない、しかし、実際にはあり得なかった可能性へのうっするらとした悲しみでしょう。誰かと交わす言葉の反復と変奏には、「あの」「え」という単純な発語から取り出される無限の可能性と、閉じた日常が開かれていく可能世界の響きがつねに孕まれているのです。
その意味で、今週のいて座もまた、そんな心当たりを手がかりに、少しだけいつも通りのまなざしや言葉の応酬から、自分を解き放っていくことができるはず。
いて座の今週のキーワード
別世界の消息を追っていくこと