いて座
精神のあやしい高揚
そうだ、ナチュラリストになろう
今週のいて座は、ふとサソリの標本に目をやった若き日のエマソンのごとし。あるいは、どこまでも「あやしい共感」に突き動かされていくような星回り。
妻の死に直面し、29歳で牧師の職を辞したエマソンは、迷いと衰弱の中で今後の人生の目標を探すようにヨーロッパ行きの旅に出たのです。のちにアメリカの知的文化を先導する思想家となるエマソンも、当時はキリスト教の伝統的な考え方にも馴染めず、かといってそれに代わる心の拠り所がある訳でもない、何者でもない若者に過ぎませんでした。
そんなエマソンに転機が訪れたのが、パリ植物園の博物誌展示室に足を運んだときでした。何気なく陳列されていたサソリの剥製を見ていると、不意にサソリと人間とのあいだの不可思議な関係に気付かされ、“精神の高揚”つまりある種の神秘体験が起きたのです。そのことについて、エマソンは日記に次のように書いています。
あのサソリと人間のあいだにさえ、不可思議な関係が存在するのだ。私は内部に、ムカデを、南米産のワニを、鯉を、ワシを、キツネを感ずる。私はあやしい共感に動かされる。「自分は博物学者(ナチュラリスト)になろう」と
博物学者という訳は、単に「生命を愛でる人」と置き換えてもいいかも知れません。エマソンはこの時、宇宙と直接関係を持って生きていこうと決意したのです。
同様に、17日にいて座から数えて「生命の網の目」を意味する11番目のてんびん座で満月を迎えたところから始まっていく今週のあなたならば、いつもなら類似性や共感を見出しえないような相手や対象に対しても広い視野に立って“近しさ”を感じていくことができるはず。
「進化」などやめてしまおう
ダーウィンの進化論によれば、われわれヒトは単純なものからだんだん複雑で多様な生命が現れてきた結果、高度に進化した生物として地上に存在していることになっています。そして、ともすれば私たち進化といえばついその系統樹の先端にあるものほど優れているはず、と考えてしまうことにすっかり慣れてしまっています。
しかし、進化というのは本当にそうした優劣の差別化を簡単に示しうるものなのでしょうか。そうだとすれば、単にグロテスクで奇妙な空想を信じ込んでいるに過ぎないのだとも言えるのではないか。そんなことが今のいて座の焦点となってくるはず。
エマソンが気付かされたサソリと人間のあいだの不可思議な関係とは、神は自然の中に内在し、みずからも神を内側に宿すゆえに、人は自然に学び、そこに潜む普遍的存在(神の精神)の流れを感じ取っては、その一部になることができるという考えへと結びついていました。つまり、そこではあらゆる自然と人間は神を介して相互に連結しあう二者であり、それ以上でもそれ以下でもなかったのです。
今週のいて座もまた、いかにも正し気な正論よりも、あやしげな共感に基づいた直観を存分に展開してみるといいでしょう。
いて座の今週のキーワード
なぜ我々は宇宙と直接関係を持とうとしないのか