いて座
この世に驚く
雪の白と月の白
今週のいて座は、「春雪の霏霏と降りゐて月かくさず」(福西正幸)という句のごとし。あるいは、行間の込めた思いを深めていくような星回り。
「霏霏(ひひ)」とは、物事が続いて絶えないさまで、この場合は雪がしきりに降っているのでしょう。とは言え、あわい「春雪」ですから、それだけ降っているにも関わらず、見上げた夜空にひと際おおきく輝く瑠璃玉のような月を覆い隠すまでには至らなかったのでしょう。
おそらく作者が見た実景をそのまま詠んだ句なのだとは思いますが、掲句を繰り返し読んでいると、文章と天気は似ているなという気がしてきます。海からのぼる水蒸気が空に至り、雨滴になったり、雪が降ったりする。それは風が聖霊のような働きをして、天にあるものを遠くに運び、地上に届け、それらはまた海へと流れ、あるいは月へと帰っていく。
そう考えると、上から下へと雪が降れば降るほど、綴られる文章のなかで秘められた黙想が深まるほど、それとは逆に天へとのぼっていく精神の垂直性は強まっていくのかも知れません。
17日にいて座から数えて「精神活動」を意味する9番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、雪の白と月の白が合わさった崇高な静けさのなかで、みずからの精神を深い領域へと導いていくことができるはず。
月から落ちてきた眼で
哲学者たちは古来より「精神の垂直的展開」の呼び水として、快不快のいずれにも属さない、いわゆる“中性的な情緒”を大事にしてきました。例えば以下のような。
「エイリアンのようですね」。こんな仕事をしていると、たまに、そんなことを、いわれることがある。そうかもしれない。哲学とは、クセノス(異邦人・異星人・客人)のような目で、この世を感じ、考え、生きなおすこと。まるで月から落ちてきた眼で―つまりまったくこの世とは異質な≪外からの視線≫で、この世の存在に驚き、漆黒の宇宙空間のなかに展開する地上のいのちのいとなみに、眼を奪われること。だから、もしかするととんでもない空間をいまぼくたちは生きているのではないかという想いのなかで、まるで異次元の世界を歩いているかのように、この世界をみつめなおすこと。そういってよいのかもしれない。(古東哲明、『現代思想としてのギリシャ哲学』)
ここでいうクセノスの目とは、すなわち月(あの世)から地球(この世)を見つめるようなまなざしの仕方のことであり、"いかなる早まった価値判断も含まず”に物事を見ている時に不意に湧いてきた驚きや美的感動こそ、私たちの精神を垂直的な次元へと誘い出してくれるのです。
いて座の今週のキーワード
異次元散歩