いて座
DNAのスイッチON
犠牲と僥倖
今週のいて座は、「盛り上がり珠となる血や十二月」(渡辺鮎太)という句のごとし。あるいは、ふと我に返っていくような星回り。
さて、いよいよ12月です。あれもしなければ、これもしておかなければと、諸事雑務に追われ、自分を見失いがちになる月。掲句はそんな12月の慌ただしい空気感のなかで、ふいに我に返った瞬間をとらえた句と言えます。
忙しく動いている最中に、うかつにも何か鋭いもので手の指を突いてしまったのでしょう。「あっ」と意識を向けると、みるみるうちに血が「盛り上が」ってきたのを見て、それが「珠」のように美しいと感じたとき、作者はかまけていた目の前の雑事の一切を忘れて、自分には現に生きている生身の身体があることを思い出したのです。
大きな12月に、小さな血の珠を対比させつつ、それを起点に空気に飲まれていた自分に気づいて、いつもの自分に戻ることができた。それはまさに作者の感性とたまたまの偶然が重なった僥倖でしょう。
12月4日に自分自身の星座であるいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、たまたまや偶然のきっかけを見逃すことなく、ほんらいの自分を取り戻していきたいところ。
なつかしい面影を追って
一口に「感性と偶然の重なり」といっても、それはつねに肉体の世界、感覚の世界、情念の世界、理知の世界など無数の世界で重層的に起きており、さらにそこに近代的知性を持ちえた合理的自分もいれば(これが主に「忙しい忙しい」とぶつぶつ言っている)、何か強い衝動に突き動かされている原始的自分もいたりするわけです。
しかし詩人の西脇順三郎は、そうした理知でも本能でも捉えきれない「幻影の人」としての人間というものがどんな人の中にいるのだと書いています。
この「幻影の人」は自分の或る瞬間に来てまた去つて行く。この人間は「原始人」以前の人間の奇跡的に残ってゐる追憶であらう。永劫の世界により近い人間の思ひ出であらう。
どうも、私たちの中で「たまたま」の偶然が「ありのまま」の姿として必然化してくるのは、こうした「幻影の人」の仕業なのじゃないかと思うのです。
そして、今週のいて座が「ふと我に返る」の「我」というのも、そうした面影のことだと思って感じてみるといいのではないでしょうか。
いて座の今週のキーワード
永遠の追いかけっこ