いて座
的確にかましていくには
挨拶句の衝撃
今週のいて座は、芭蕉のかました挨拶のごとし。あるいは、すっかり硬直している状況や文脈に風穴をあけていこうとするような星回り。
松尾芭蕉が仲間たちと詠んだ俳諧「冬の日」の出だしは「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」という発句から始まり、それに続いて「狂句こがらし」をテーマに一門が順番に詠んでいったのですが、とにかくこの出だしがカッコいいのです。
「竹斎」とは江戸時代初頭の仮名草子の主人公で、やぶ医者なんです。それで京都で失敗して、東海道を行脚しながら江戸に下ってくるのですが、そのときに各地でしゃれや風刺をきかせた狂歌(短歌)を詠んでいる。いわば芭蕉の先輩にあたるのですが、芭蕉はここでその竹斎に自分を重ねているんですね。
そもそも俳諧というのは和歌に対するカウンターカルチャーであり、雅な和歌では絶対にしない表現をしていくものですが、芭蕉はここで日本文化の根底にある和歌に風穴をあけやるぜという決意表明をしている訳です。発句というのはその場への挨拶句でもありますから、もし現代語訳するなら「北風ピューピュー吹いてる中、竹斎みたいにやってきたぜ。旋風を起こしていくからよろしくな!」ってなところではないでしょうか。
11日にいて座から数えて「メッセンジャー」を意味する3番目のみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、厳しい「冬」の時代にあえてかましていく挨拶を考え、そこに自身を賭けてみてはいかがでしょうか。
「棚卸し」の大切さ
福沢諭吉は『学問のすゝめ』において、人の価値は生まれながらのものではなく、学問を習得した度合いで決まると説きましたが、彼の言う学問とは「実学」のことであり、時代に即した、変転する世界を生き抜いていくのに必要なサバイバル・テクニックとしての知識や知恵のことでした。
そして、そうした実学習得と併せて福沢が人びとに説いたのが、定期的な「棚卸し」であり、それは狭義では自身が持っている能力の点検や、その過不足の正確な把握を怠るな、ということを意味しましたが、決してそれだけではありませんでした。
福沢の言う「棚卸し」とは、目標実現のための努力に一定期間時間を割いても効果があがらなければ、小手先の修正ではなく、学び方そのものの大胆な組み換えを行うべきであることを指しており、それは過去の慣習や旧体制にしがみつく人々を至るところで批判していた福沢本人の真骨頂でもあったように思います。実学はそのために用いることができてこその「実学」であり、自分を相対化できないような知識や知恵は、激動の時代においては本当の意味で自分自身のためにはならないのだ、と。
その意味で、芭蕉にとっては俳諧もまた「実学」に他ならなかったのかも知れません。今週のいて座も、それに倣うかのように鋭いシフトチェンジを図っていきたいところ。
いて座の今週のキーワード
風穴をあけるとは、生き延びるということ