いて座
贈与と偶然
偶然人生
今週のいて座は、「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものは、ない」という言葉のごとし。あるいは、「生き延びた」という声が思わず口から漏れていくような星回り。
この言葉は確か、作家でイタリア文学の翻訳者であった須賀敦子さんが、やはりイタリアの詩人の言葉として紹介されていたものだったように思います。
長く生きていると、この言葉があったからこそ、何か大変なことがあるたびに、つらく大変なのは自分だけではない、と肩を抱かれるように思わせてくれる言葉と出会うことがありますが、個人的にはこれもそのうちの一つです。
それはたいてい、自分の心のなかにありながら、自分ではうまく表現することができずにいたものに言葉が与えられたような、それこそ、世界からの贈与と呼ぶべき体験でもあるのではないでしょうか。
そして、そうした心から必要としているにも関わらずお金で買うことのできないものとしての贈与については、学校でも、社会に出てからも、誰も教えてくれませんし、だからこそ私たちは生きる傍らで詩や小説を読み、占いをし、そうして時おり日常のやり取りの外へと出ていこうとするのかも知れません。
10日にいて座から数えて「偶然的邂逅」を意味する8番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どれだけ自分がそうした贈与に開かれ得るかが問われていくはずです。
ポアンカレの偶然性の定義
歌人の穂村弘が『もしもし、運命の人ですか。』という恋愛エッセイ集を出していますが、まだ固定電話オンリーだった子供の頃に、筆者の周りでは適当にダイヤルを回して電話に出た相手にそれと同じ言葉を発して反応を試すという遊びが流行っていました。
そうした他愛のない電話遊びも、考えてみれば、偶然というものを存在論的なものとして見なすべきか、それとも認識論的なもの、すなわち、主観的で注意を払うに値しないものと見なすのかという、重要な問いの萌芽を孕んでいたように思います。
この点について、フランスの数学者アンリ・ポアンカレは、偶然性の定義について以下のような興味深い提案をしています。
われわれの眼に止まらないほどのごく小さな原因が、われわれの認めざるを得ないような重大な結果をひきおこすことがあると、かかる時われわれは、その結果は偶然に起こったという。(吉田洋一訳、『科学と方法』)
電話遊びに紐づければ、押したボタンが一つ違えば、まったく異なる先に繋がってしまう訳です。今週のいて座もまた、そうした偶然がみずからの人生にどれだけ作用しているかということについて、改めて実感していくことでしょう。
今週のキーワード
偶然に癒される