いて座
阿房の嗜み
百閒先生はゆく
今週のいて座は、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大坂へ行って来よう」と思い立った内田百閒(うちだひゃっけん)のごとし。あるいは、みずから阿房(あほう)になっていくような星回り。
用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔付きは嫌いである。
これは『特別阿房列車』という内田百閒の実体験に基いたエッセイの冒頭部分である。確かに「用事がなければどこにも行ってはいけないと云うわけはない」けれど、この先生、どうにも相当やり手の「阿房」なのだ。
一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。
21日にいて座から数えて「心身の健全化」を意味する6番目のおうし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな百閒の爪の垢でも煎じて飲んでみようではありませんか。
賭博の感覚
百閒先生に限らず、文学者や芸術家における阿房の嗜みというのはどこか「賭博」に似たところがあります。つまり、今の一瞬を、過去の暗い淵へと落っことしてしまうか、明日の方へ積み上げていくかという、人生の分かれ道かというくらいギリギリのところに立っていて、それが作品の生き死にの分かれ目と直結している。
そういう「賭博の感覚」というのを、自分の日常的現実や習慣に持ち込んでいける人というのは、なかなかいません。だから、もし今週あなたが、一度でもそういう瞬間に立てたのなら、自分をほめてあげてください。
あるいは、そういう勝負をこれまでも何度かしてきたのだとすれば、それなりの経験を積んできたのだと自負してください。そうして一息つくこともたまには必要ですし、そうであればこそ「軽み」や「ノリ」というものが自分を生かしてくるのだと思います。
今週のキーワード
二等に乗っている人の顔付きは嫌いである。