いて座
気ままに、ゆるやかに
蕪村の場合
今週のいて座は、「蓑虫のぶらと世にふる時雨哉」(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、紡がれた思いを継ぎつつも、ぶらりぶらりと暮らしていこうとするような星回り。
盟友・宗祇(たいぎ)や先達が相次いで亡くなった明和六年(1771)の冬に詠まれた一句。
かつて中世の連歌師・宗祇(そうぎ)は「世にふるもさらに時雨の宿り哉」と、時雨にたくして、世の無常や人のはかなさを詠み、それを受けて蕪村の心の師であった芭蕉は「世にふるも更に宗祇の宿り哉」と呼んで、その無常観を自身もまた引き受ける傍らで、宗祇の示した風雅の衣鉢(わびさびの美学)を継いでいかんとする気概を示しました。
ただ、蕪村が同じく「時雨」を詠んだ掲句には、もはやそうした気概や気負いは見られません。ただ、彼ら先達や盟友たちが引いてくれた一繊の糸をおのれの道と信じて疑うことはない代わりに、それを必要以上に大きく見せようという気もないのでしょう。
さながら蓑虫のように、一繊の糸につながって細々と揺られながら(しかし鉄索以上の強靭さで)、老健の気ままを楽しみたい。そんな率直な心境が語られているように思います。
11月4日(月)にいて座から数えて「移り変わり」や「刷新」を意味する3番目のみずがめ座で上弦の月(行動と自己確立の時)を迎えていく今週は、そんなゆるさと確かさのちょうどいいバランスを心がけていくといいでしょう。
数寄(すき)
隠遁の内実は、閑居(のんびり暮らす)と道心(悟りを求める志)と数寄心(風流・風雅に心を寄せる)の3つに要約されると言われていますが、このうち最後の数寄心は、今週のいて座にとって特に大切になってくるのではないでしょうか。
それは例えば、「ひとり調べ、ひとり詠じて、みずから情を養うばかり」(鴨長明『方丈記』)といったスタイルの中で、この世界とのより直接的で自然なかかわりを取り戻していこう、というもの。逆にその正反対が、以下のような状態です。
「世にしたがへば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交われば、言葉よその聞きにしたがひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定まれることなし。分別みだりに起こりて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。」(吉田兼好『徒然草』)
「よその聞き」は他人がどう思うか、「分別」というのは、ああだろうか、こうだろうか、という思い悩みで、「得失」とは損得勘定のこと。忙しさに酔っているだけで、我を忘れてしまっているのだ、という最後の箇所は痛烈ですね。
今週は古人たちにならいつつ、感性を耕して、日々の生活に余白をつくることを第一に考えていきたいところです。
今週のキーワード
蓑虫スタイル