いて座
素直な裸は心地いい
好ましい打ち出し
今週のいて座は、「山よ笑え 若葉に眩む朝礼のおのこらにみな睾丸が垂る」(渡辺松男)という歌のごとし。あるいは、論理的でも合理的でもないけれど、好ましいと感じられるものを素直に打ちだしていくような星回り。
思わずクスリとしてしまう。作者の詠む歌は、どこかこちらの精神をくらくらさせてくるような、不思議な明るさに満ちている。それにあてられてか、掲歌の「山」になり代わって自然と笑ってしまいたくなるのだ。
他にもこんな歌が並んでいる(『寒気氾濫』)。
「どこへでも行きたいけれど君といて座っていればうれしき臀部」
「恋人の御腹の上にいるような春やわらかき野のどまんなか」
「重力は曲線となりゆうらりと君の乳房をつたわりゆけり」
どうだろうか。作者が感じているであろう、目の前の情景の向こう側にあるものへの思いがふんわりと、しかし確かに伝わってくるはずだ。
別にちゃんとしようとして、それらしい理屈などこねなくても、作者のようにとびきり素直に誰か何かに好意を感じていれば、それは自然と相手に伝わっていく。
今週のいて座も、そんな素直さをどうにか見習っていきたいところです。
アメノウズメのほと踊り
「天鈿女命笑へば山笑ふ」(堀口星眠)という句があります。「山笑う」とは、草木が芽吹き、花が咲き、鳥のさえずる春の山のことで、アマテラスが隠れて闇に包まれ、田畑も枯れて、荒廃してしまった世界とは対極の光景です。
いったん殺伐としてしまった状況では、周りの人間と一緒になって悩んでいるだけだったり、周りの人間だけを相手にしている限り、仮面や鎧の厚さだけが増すばかりで、そこから真の意味での打開策は生まれてきません。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が隠れてしまった天の岩戸開きの際、ほと踊りをして天照大御神を岩戸の外へ連れ出すきっかけを作るなど大活躍した天鈿女命(アメノウズメ)の本質は、まず自分から本当に何もかもを取り去ることができた時、本当の何もかもが見えてくる、という点にありました。
多少、筋道が通っていなくても、場があたたまるような「裸の」言動である限り、少しでも世界を明るくするというアメノウズメの大仕事は着実に成し遂げられていくはず。
そんな彼女になりきって、今週は硬直した状況に新風を吹き込んでいくべし。
今週のキーワード
世界を明るくする