うお座
歴史を引き継ぐ
魂の過程と役割のわざ
今週のうお座は、「大阪や見ぬよの夏の五十年」(蝉吟)という句のごとし。あるいは、かつてあった時代、そしていまの世の中、そしていまの自分を繋ぎ直していくような星回り。
戦国武将・藤堂良勝は大坂夏の陣で徳川方として戦い、討ち死にした。蝉吟(せんぎん)は良勝の孫にあたり、また松尾芭蕉が若い頃に仕えた主人でもあった。掲句は、作者が祖父の五十回忌に詠んだもの。いのちを捨てる覚悟で戦に臨んだ祖父のことを、作者は直接知っていた訳ではない。だから、「見ぬ世の」人なのだ。それでも作者は泰平の世にあって、かつての戦乱の時代をしのんでいるようにも思える。
あるいは、25歳で早逝した作者は亡くなる前年にこの句を詠んだ時点で、すでに自分の命運をどこかで予感していたのかも知れない。それでも、彼は芭蕉のよき先輩であり、理解者として生きた証しを残していった。
世間と比べていのちが尽きるのが早い遅いだの、幸か不幸かといったことは、この際どうでもいいのだ。ただそこにはおのおのの魂の過程に見合った役割のわざがあり、そこで結びついた個人の誰が特別ということはないのだろう。
今週のあなたもまた、そんな連綿とつながれた魂の過程を思いながら、自分に見合った「役割」について、思い定めていくことになるでしょう。
「新しい泣きかた」を見出す
民俗学者・畑中章宏の『先祖と日本人』の最後、「「魂の行方」を求めて―三・一一紀行」という章の最後を次のように締めています。
「戦後も災後も、「記憶の伝承」ということはよくいわれた。しかし、理性ではわりきれない、魂の次元を揺さぶられる事態が、大きな戦争や、巨大な自然災害なのではないか。柳田は『先祖の話』で、「生死観を振作(しんさく)せしめる」という言葉を使った。私たちは、「反省の学」を模索するとともに、新しい泣きかたを見つけ出さなければいけないと思うのである。」
「振作」とは、さかんに奮い起こそうとすること、という意味です。それにしても、子供も大人も、いつから現代人はこんなにも泣かなくなってしまったのでしょうか。そのままでは風化しがちな歴史や記憶を引き継ぐとは、単に受け身で勉強することを越えて、まさに「新しい泣きかた」を見出したときに初めて成し遂げられていくのでしょう。
今週のキーワード
『先祖の話』、『先祖と日本人』