うお座
腐葉土をこさえる
さよならを告げる
今週のうお座の星周りを見ていると、「もはや慰めも安らぎも与えない神の絵に、私は穴を開ける」という声が聞こえてくるかのようです。
どんなスケールのものであれ、一つのサイクルの終わりには、必ず大量の無駄が出るものであり、それら不要物は土に戻されることで、これから育っていく新たな可能性を養うための「腐葉土」となっていく定めにあります。
うお座のあなたが、再び人生に感情的なきらめきと豊かな色彩を取り戻していくためには、そうした腐葉土が必要なのであり、その原材料はつい最近まで見ていた夢の中にごろごろ転がっているはずです。もはや不要となった本があれば、片っ端から売り払い必要な本の資金源にしていくもよし、あるいは逆に「再び世界へ戻ることを忘れない程度に引きこもっておこう」と視界にちらつく過去の遺物に休止符を打ってしまう人もいるでしょう。
少なくとも、過去が永遠に続くような悪夢にだけは、自分の手で止めを刺しておいてください。
ゴッホの場合
ゴッホが「農民たちの墓地」という絵を描いて、弟のテオに送ったとき、同封された手紙には次のように書かれていました。
「死と埋葬が何と単純なことであるかを描きたかったんだ。死は、秋に木の葉が散るのと同じくらい単純だし、埋葬は、ちょっと地面が掘られ、木の十字架が立てられるだけ。教会墓地の草地が尽きるところ、低い石垣の向こうには、畑が一面に広がっていて、水平線のように地平に最後の一線を残している。そして今や、この教会の廃墟は、ぼくにこう語りかけている。信仰と宗教は、堅固に打ち立てられても、朽ち果ててしまう、とね。反対に、ささやかな農民の生と死は、いつも同じままだ。ちょうど、墓地の地面で成長する草や花が規則的に芽を出し枯れていくのと同じようにね。様々な宗教は過ぎ去っていくが、神は在り続ける。最近埋葬されたばかりのヴィクトール・ユゴーの言葉だ。」(1885年6月9日頃の手紙)
ゴッホはここで天上に神を設定するのではなく、あくまで自然や人間と同じ次元に神の無限を見ています。
しかし考えてみれば、「天上の神」という装置も人の手が作り出したものであり、人間が人間に似せてねつ造したものである以上、いつかは壊れてしまう運命にあります。
いわばゴッホは絵を描くことで、壊れてしまった神のお葬式をあげたのです。正月明けに松飾を取るときのように、葬るならできうる限りの丁重さで、死出の旅路に送りだしてあげましょう。あなたが現実に戻るのはそれからでも遅くないはずです。
今週のキーワード
神様のお葬式