うお座
回復に向けてのステップ
魂の救済を金で買おうとする患者たち
今週のうお座は、「罪の経済」の克服へ向けて。あるいは、資本主義社会で「普通である」ということをある種の“病い”として捉えていこうとするような星回り。
資本主義か社会主義か、という二者択一を考える人はもはやごく一部の少数派で、イギリスの批評家マーク・フィッシャーが指摘していたように、今や資本主義こそが唯一の存続可能な政治・経済的制度であるばかりか、その代替物を想像することすら不可能だという意識が社会に蔓延しているように思います。
しかし、例えば思想史家の関曠野は2016年に刊行された『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか―西洋と日本の歴史を問いなおす―』の中で「資本主義に普遍的世界史な必然性などありません」と断じた上で次のように述べています。
近代日本が極東の国でありながら近代化していわゆる経済大国になったことが、資本主義は普遍的な現象という錯覚を生んでいるのかもしれません。しかし、この日本でさえペリーの黒船など欧米列強の軍事的脅威なしには西洋化することはなかった。現在の世界では、中国さえ一見資本主義化していますが、どうみてもその実態はハリボテなのです。
関はその論拠として、いくら資源やテクノロジーが潤沢にあってもそれだけでは資本主義は成立せず、その真の成立のためには「罪の経済」という精神性が必要なのだといいます。
すなわち、アダムとイブが原罪を犯して楽園を追放されたというキリスト教の原罪論が、のちに「人間の神に対する負債、罪滅ぼしとしての労働」という観念と結びついて、いわば「魂の救済を金で買う」という発想が資本主義と適合したエトスとなったのであり、関はこれこそがヨーロッパ文明の特徴なのだと述べています。
そして、経済成長をやめなければ人類の存続が危うくなることがはっきりしているのに、果てしない経済成長を求める資本主義から脱却できないのは、それが「宗教のかたちをした神経症」だからであり、「資本主義は貧困とか搾取ということよりも精神病理で人間を不幸にする」し、逆に言えば「精神病のない資本主義はありえない」のだというたいへん重要な指摘もしています。
9月11日にうお座から数えて「世間との折り合い」を意味する10番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、どうしたら「宗教のかたちをした神経症」を克服していけるかということが大きなテーマとなっていくでしょう。
完璧ではいられない世界のなかで
ダルク(薬物依存症からの回復支援施設)をはじめとした依存症の自助グループのなかで採用されている「AA12のステップ」と呼ばれるプログラムがあります。
これはもともとアルコール依存症の自助グループ「AA(“アルコホーリク・アノニマス/匿名のアルコール依存者たち”の意)」において明文化され、回復の指標とされてきたもので、そのステップ1には「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなったことを認めた」とあります。
つまり、人は自分なりの意志をもって能動的に人生をコントロールしていくべきだし、そうすることが人としての正しい在り方であるという呪縛から降りていくことが回復と社会復帰への入り口であるのだという認識と自覚がここで促されている訳です。
それは続くステップ2の「自分を超えた大きな力が、私たちの健康な心に戻してくれると信じるようになった」や、ステップ3の「私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした」に進むことで、より明確になっていきます。ここではもはや、主体をめぐる「やった/やらされた」といった極端で硬直した対立構造が解体されつつあり、代わりに、「(自分が)変わらないままである/(何らかの影響に応じて)変わりつつある」という確認が要請されていくのです。
今週のうお座もまた、まずは「100%の能動的な状態」などといった非現実的な理想形を放棄するところから、自身の在り様を見つめ直してみるべし。
うお座の今週のキーワード
「強い意志」などとは異なる形で自分なりの責任を引き受け直していこうとすること