うお座
頭の入れ替わり
違った眺めが差し込まれる
今週のうお座は、『炎天の犬捕り低く唄ひ出す』(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、耳慣れない「唄」にふっと耳が吸い寄せられていくような星回り。
「犬捕り」とは駆除目的で市街地をうろつく野良犬を、道具やトラップを使って捕獲する役目を負った人のことで、昭和の時代には普通に見られた光景でした。
自句自解によれば、作者は生きものの中でも「人間の友」たる犬が特に好きで、当然、犬捕りを職業にしているような人間には好感を持つどころか漠然とした反感や敵意を持っていたそうですが、ある真夏の日に近くの墓場の前の炎天の道を、向こうから犬捕りがぶらぶら来ながら、つぶやくような低い声で何か唄っているのに出くわして、それまでとは違った感慨を抱いたのだといいます。
針金の先を輪にした兇悪な道具を手にした犬捕りは、作者によれば「仕事にあぶれた顔つき」をしており、彼の低くうめくような唄を聞いた瞬間に、強い軽蔑や戦慄を覚えるというよりも、「人間の生きてゆく姿のやりきれなさ」に暗澹(あんたん)たる気持ちになったのだと言います。
しかし、作者の意図はともかくとして、掲句をまったく別の角度から捉えることもできるはず。それは、いつの時代にも世間から忌み嫌われ、差別される仕事についている人間というのはいて、彼らが考えうる限り最も過酷な環境においてでさえ職務を遂行しているのだという現実であり、さらには彼らには彼らなりの「唄」があるのだということ。
つまり、ある種の運命的な必然性のようなものがそこにはあって、それは外部の人間が「劣った人間だから」とか「落ちぶれた人間の成れの果て」だとか言ってバカにできるようなものではないのではないか、ということです。あまり言葉にしてしまうと野暮ったくなってしまいますが、掲句はそうしたいつの時代にもある真実をさっと切り取ってみせてくれているのではないでしょうか。
7月21日にうお座から数えて「ビジョン」を意味する11番目のやぎ座で満月を形成していく今週のあなたもまた、不意にこれまで見えていた光景とは違った眺めが脳の中に差し込まれていくような体験をしていくことになるかも知れません。
虹見ゆるところに市が立つ
歴史学者の勝俣鎮夫は、虹が原初的な“市”ないし交換の観念と密接な関係をもっていたことを指摘して、以下のように述べています。
虹は天界(他界)と俗界とを結ぶ橋と考えられていたのであり、虹が立てばその橋を渡って神や精霊が降りてくると信じられ、地上の虹の立つところは、天界と俗界の境にある出入口で、神々の示現する場であった。そのため虹の立つところでは、神迎えの行事をする必要があり、その祭りの行事そのものが、市を立て、交換をおこなうことであったのである(『税・交易・貨幣』)
虹の正体は雨粒に反射した太陽の光であり、雨が降った後に晴れなければ虹は現われませんから、上記の「祭り」とは恵みの雨を降らせるための雨乞いの儀礼であり、それが成功した際に初めて、閉ざされていた“市”の門が開かれ、交易が再開されていった訳です。
そんな“市”は、商品と商品とが交換されていく商いの場としてだけでなく、異なるクラスター間でのアイデアの交換が促されていくコミュニケーションのために開かれた占いの場でもありました。その意味で今週のうお座は、そうした古代的な意味で“虹が立つ”ようなタイミングにあるのだとも言えるでしょう。
うお座の今週のキーワード
ひらけごま