うお座
涼感を求めて
清冽な水しぶきのような言葉
今週のうお座は、『暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ)』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、ひとりしずかになっていくような星回り。
奥日光にほど近い場所にある裏見の滝は、実際にたどり着いてみると高さ45メートルの壮観な観光スポットですが、その裏側の崖にはくぼみがあって、這うようによじ登っていけば、一人ひとりがすっぽりとおさまるくらいのスペースがあり、芭蕉はそこに籠ることを「夏の初め」と詠んだのです。
夏の行とは、旧暦4月16日より90日間、僧たちが一室にこもって写経や読経などの精進をする行のことですが、ドナルド・キーンによる英訳では素朴に「サマー・リトリート」と訳されています。
そして、ここで芭蕉が裏側から眺めている「滝」とは、単に水しぶきを伴う実景としてのそれであると同時に、いついかなる時もとどまることを知らない心のおしゃべりであり、今でいうSNSのタイムラインであり、ショート動画をスワイプする指の動きにも重ねられるでしょう。
なぜ、私たちはそうした心のおしゃべりをやめられないのか?それは、私たちがしあわせになりたいからです。しあわせになりたくてついつい絶え間ない干渉を起こしてしまう言葉や思考のさざ波に、逆に私たちは足を取られてそこに溺れてしまいがちですが、しかし私たちが救われるのもまた、清冽な水しぶきのごとき言葉を通してなのかもしれません。
6月21日にうお座から数えて「孤独」を意味する5番目のかに座に太陽が入っていく(夏至)今週のあなたもまた、自分だけの滝の裏のくぼみを見つけていきたいところです。
井の中の蛙空の深さを知る
どこから見ても完璧で、見事な調和=美しさを体現した人間などこの世にはいませんが、それでも多くの人はそうであることを価値と見なし、何らかの欠損や不格好、あるいは傷跡をできるだけ人の目から隠して、なかったことにしようとします。それが愛されるための唯一のやり方であるかのように。
しかし、私たちが何か大事なことに気がつく契機や機会というのは、大抵は小さなすき間や亀裂のように狭く短いものであり、そういうフラジャイルな情報や言葉を遮断しないでいることによって、それまでとは異なる視界へと開かれていくことができるのではないでしょうか。
芭蕉がわざわざ崖をよじ登ってまで滝の裏側にこもったのも、そういう自分をおかしな方向へと突き動かしてしまう流れのようなものを落ち着かせ、「空の深さ」を再発見していくための試行錯誤だったのかも知れません。
その意味で今週のうお座もまた、世間一般において信じられている価値とは少し異なる視界へと開かれていくべく、うろうろしてみるところから始めてみるといいでしょう。
うお座の今週のキーワード
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