うお座
脳は溶けたアイスクリームのように
硬直した陸地から離れて
今週のうお座は、『葉ざくらや人に知られぬ昼あそび』(永井荷風)という句のごとし。あるいは、さりげなくもどっぷりと世間様に背を向けていこうとするような星回り。
さて、桜の花もすっかり終わり、葉桜のまぶしい季節である。いよいよ、世間の人に知られるはずもない遊びに打ち興じようではないか。そんな作者の肉声がなんとなく聞こえてきそうな一句です。
前書きに「向島水神の茶屋にて」とありますから、作者は隅田川と荒川とにはさまれた堅い陸から離れた地で、「茶屋遊び」すなわち酒食にふけっていたのでしょう。
上五、中七、下五と、H音で頭韻が踏まれ、どことなく衣擦れのような密やかな雰囲気が醸しだされており、茶屋の文化など縁遠い読者にも、葉桜の隙間や茶屋の障子の奥に広がる薄闇に何やらなまめかしいものを想像させる仕掛けがちゃんと施されていますね。
また、掲句にしみとおった真昼のしずけさが、かえってその「あそび」のとどめようのなさを強調しているようにも感じます。
5月8日にうお座から数えて「遊び」を意味する3番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、荷風先生ほどではないにせよ、いっぱしの風流人として耽溺できる世界へときちんと足を運んでいくべし。
異質文明を夢みて
荷風は江戸趣味への思慕が顕著な人物でしたが、彼とはまた少し異なるかたちで時代を超越した独自の感覚を貫いていった人間としては、稲垣足穂がいます。
彼は『水晶物語』の中で、「何にしても人間よりは樹木の方が偉い。樹木よりも鉱物、それも水晶のようなものがいっそう偉いのだ。人間も早く鉱物のようになってしまったらよかろう」と書いていました。
そういう眼で人間を眺めてみると、確かにごく稀に鉱物や水晶さながらにドキリとするような妖しい輝きを放つ人間が存在しているような気がします。
そうした鉱物人間は、道端に転がっているただの石ころ共とは違って、その上に全く異質の文明の可能性を夢みたり、信じさせるだけの何とも言えない磁力がある(足穂自身もまたそういう人でした)。そしてそんな磁場へとまなざしが吸い込まれていくとき、人間の最も深い感情である憧れの想いがそっと引き出されていくのです。
おそらく、そんな時の人の目は、闇夜に一夜の夢を浮かばせるサーチライトの綾を織り出さんと、ピカピカに発光しているのではないでしょうか。
鉱物に較べると、大方の生物はまるで泡だ、と私は思っているのです。
今週のうお座もまた、できればこれくらいのことをうそぶいていきたいところです。
うお座の今週のキーワード
「早く鉱物のようになってしまったらよかろう」