うお座
孤独にかえる
衆愚の一光景
今週のうお座は、『冬蜂や死にどころなく歩きけり』(村上鬼城)という句のごとし、あるいは、マクロ的視点から見た自身の姿に疑問を抱いていくような星回り。
ろう者で、かつ貧しかった作者自身の姿を「冬蜂」に託しているというのが通例的なこの句の解釈ですが、作者と切り離してみると、なんだか可哀そうだという感傷から離れて、本来いるはずのないものが不自然なシチュエーションに登場する不思議を感じさせる句とも取れます。
冬季のあいだ、蜂は体力温存のため、巣の中で仮死状態になって眠っているのですが、暖かな小春日和などには、春になったと勘違いして眠りから目覚め、夢うつつの状態でそこらを徘徊するのだとか。
だとすれば、この「冬蜂」に重ねられるのは単に不遇の弱者というより、「衆愚」という言葉が似合う世の人々なのではないだろうか。考えてみれば過酷な時代になればなるほど、今にも死にそうながらも死にどころなく歩いてしまっている「蜂」のような人間というのは増えていくもの。
確かに余裕のない人ほど目先の利益に釣られたり、本来考えるべきこと以外のどうでもいいことに話題を逸らされ、振り回されてしまうものであり、自分がそうではないと言い切れる人が、今の日本社会にどれだけいるのかは甚だ疑問です。
11月24日にうお座から数えて「世間との折り合い」を意味する10番目のいて座へと「異議申し立て」を司る火星が移動していく今週のあなたもまた、日頃ただ惰性的に流されてしまっている世の慣習にここぞとばかりに抗ってみるべし。
秘密と予感
何か大事なことが解りかける時というのは、人はすべからく孤独なのではないでしょうか。つまり、安易な交わりで誤魔化してしまうことが間違ってもないような、怜悧な緊張感を肌で感じている時に初めて、これまで見えなかったものも見えてくるのではないか、と。
この点について、心理学者のユングが最晩年の80代に収録・刊行された『ユング自伝』に中で、次のように言及しています。
われわれがなんらかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対して予感を持つのは、大切なことである。それは、われわれの生活を、なにか非個人的な、霊的なものによって充たしてくれる。それを一度も経験したことのない人は、なにか大切なことを見逃している
ユングからすると、魂の幸福とは、どこかの時点で自分だけの秘密にならざるを得ないものであり、真の意味で心地よく生きていくということは、恐らく何らかの形で「なにか非個人的な、霊的なもの」との折り合いを予感していくということだったのです。
おそらく、「死にどころ」を見つけた冬蜂というのは、「不可能な何ものかに対しての予感」を持ったユングのような人のことを言うのでしょう。その意味で今週のうお座は、世間的基準とは異なる「魂の幸福」へのきっかけを掴んでいくタイミングでもあるのだとも言えるかも知れません。
うお座の今週のキーワード
生活を、なにか非個人的な、霊的なものによって充たすこと