うお座
無常のしらべ
芭蕉の礼
今週のうお座は、『何ごともまねき果(はて)たるすすきかな』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、自分なりの精一杯の礼の尽くし方を実践していこうとするような星回り。
前書きには「毒海長老、我が草の戸にして身まかり侍るを葬りて」と付されており、「毒海長老」というおそらく放浪の乞食坊主を、作者が自分の庵で介護していたのが、ついに亡くなって追悼句を詠んだということなのでしょう。
すすきが風にそよいで、打ちなびく様子が、まるで人を招いているようだという見立ての常套(じょうとう)に立ちつつも、「何ごとも」つまりすべてのものを、「まねき果たる」という全肯定によって表すことで、毒海長老のスケールの大きさを示そうとしているように思われます。
「毒海長老」がどんな人物だったのか、その詳細はほとんど何も分かっていませんが、少なくとも作者にとってお情けで最後を見とっただけの相手では決してなく、どこか中世の連歌師・心敬のいう「冷え寂びたるかた」のイメージに重なる存在であり、作者は密かに大いなるリスペクトを抱いていたのかも知れません。
ここでは、そういう得難い相手と過ごしたひと時に感謝しつつ、すすきが招き終わったあとに訪れる静寂の境地に余韻を感じている訳です。15日にうお座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、敬意を抱いている相手にきちんと相対していくことでのみ得られる余韻を味わっていくべし。
喪失と永遠のはざま
心から貴重だと思えるものや関わりが、同時にたやすく損なわれていってしまうものであるということは、一般的なイメージとは異なり、実際には本当にいいことであるように思います。
なぜなら、傷つき、失われゆくということこそが、「確かに自分は生きている」という実感を与えてくれる一番の経験であり、また、今後出会うであろう美しいものを「美しい」と確かに思えるだけの感受性を育んでくれるから。
そして、そういうことに気付くためにも、やはり敏感な人であればあるほど、大事な相手との離れ際にはきちんとお別れをして、孤独に回帰していく過程を味わっていく必要があるのです。
今週のうお座もまた、この世という仮の宿には、行くも帰るもひとりなのだということを改めて感じていくことでしょう。しかし、それはただ寂しい現実としてそうなのではなく、永遠なるものを受けとっていくための契機であり、今のあなたには、そうした感覚を思い出すチャンスが訪れているのだと知ってください。
うお座の今週のキーワード
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。