うお座
自分より大きなものに満たされて
永遠の旅の途上で
今週のうお座は、『芭蕉庵桃青は留守水の秋』(秋篠光広)という句のごとし。あるいは、不在であるがゆえに臨在しているという感覚に励まされていくような星回り。
前書きには「江東 深川」とあります。ここで掲句の「芭蕉庵」が、かつて松尾芭蕉が移り住んだ「芭蕉庵」を指すことが分かります。「桃青」とは彼が「芭蕉」と名乗る以前に使っていた第一の号ですから、「芭蕉庵桃青」という表現には、世俗の名利と縁を切って、新たな境地を開こうとしたばかりの頃の、37、8歳頃の芭蕉への深い敬意が伺えます。
つづけて「留守」とあるのは、当然ながら“不在”であるということ(芭蕉庵跡と伝えられている場所には、現在、芭蕉稲荷神社という小さな社がある)。芭蕉が最後の旅に出たのはもう300年以上前で、1694年の秋に大阪で命を落としましたが、以来、芭蕉の魂は永遠に旅の身空にあり、それは今も、そしてこれからも決して失われないということでしょう。
当時の旅に舟は欠かせない交通の便であり、最後の旅をもとに記された『おくのほそ道』も最初は舟にのるところから始まっていきます。作者は秋になって澄んだ水の流れを見つめるうちに、不在のはずの芭蕉の“臨在(そば近くにあること)”を感じ取ったのであり、芭蕉の志を継いでいけるような自分自身をハッとそこに掴んだのかも知れません。
8月31日に自分自身の星座であるうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分にそっと染み渡り、後押しをしてくれるような「空白」をこの世界の内に見つけていくべし。
菩薩が菩薩たる由縁
中世には、近代的な「個の自立性」という発想に囚われない発想が豊かにありましたが、13世紀に成立した説話物語集『宇治拾遺物語』には、次のようなお話が収録されています。
信濃国の筑摩という町に薬湯があり、あるとき近くに住んでいる男が夢のなかで「明日正午に観音様が髭をはやし馬に乗った三十歳くらいの武士の姿をして湯あみに来られる」という声を聞き、目を覚ましてから人びとにその夢について話し、多くの人が温泉で待ち構えていたところ、はたしてその通りの格好をした武士が現れたという。みなが平伏していると、武士は驚いてみなに何をしているのか尋ねたけれど、誰も返事をしなかった。ついにみなの中の僧侶が理由を説明すると、武士は狩りをしているときに落馬したのでやってきただけだと語ったにも関わらず、みなはこの武士を拝み続けた。しばらくの間、男はこの温泉にとどまっていたが、やがて「自分は本当に観音様だ。自分は法師にならないといけない」という考えが浮かんで、武器を捨て、僧侶になってしまった。それを見て、人びとは大いに心打たれたという。
このお話のポイントは、以前は武士であった男が有名な僧侶になったとか、多くの人を救ったといった妙なヒロイズムに陥っていないところです。男は単に他者を通じて自分自身を見出しただけであり、それこそが菩薩が菩薩たる由縁なのではないでしょうか。
今週のうお座もまた、自分自身の意志や考え以外のところで自分が決定づけられていく感覚を大いに味わっていくことになるでしょう。
うお座の今週のキーワード
どんぐりころころ