うお座
光のネットワークの中へ
楽しむだけの余裕を
今週のうお座は、『ビヤホール椅子の背中をぶつけ合ひ』(深見けん二)という句のごとし。あるいは、小気味よく誰かとぶつかり合うような関わりを楽しんでいくような星回り。
ビールは真夏よりも初夏のほうが楽しい。というのも、真夏になるとどうしても喉が渇くし、水分や涼気をとるといったニュアンスが強まって、飲み方に勢いがつきすぎたり、風味や雰囲気を味わう余裕がなくなってしまうから。
その点、初夏ならまだ楽しむ余地がある。異なるテーブルの間で椅子の背中同士がぶつかっても、それすらも嬉しいような気がしてくる。都会の乾いた個人主義でもない、かといって過剰な熱気に煽られた集団主義という訳でももちろんない。その中間あたりにある、ちょうどいい塩梅の「ぶつけ合い」だからこそ、どこか小気味良く感じられてくるのではないでしょうか。
それに、明るいうちから飲んでいると、街路樹など街中にある緑が鮮やかに目に飛び込んできたり、道行く人もなんだか颯爽と、輝いて見えてきて、ビールの爽やかなのど越しやコクのある味わいとの相性も否応なく増してくるはず。
5月28日にうお座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目の星座であるおとめ座で上弦の月を迎えるべく光が戻っていく今週のあなたもまた、そんな個人主義と集団主義のあいだにある心地いい落としどころを探っていくべし。
照明されている感じ
光というのはまず光の発生源からの放射される光線としてある訳ですが、この時点ではカメレオンでもない限り放射光を利用することはできません。
放射光が環境の表面から表面へと終わることなく跳ね返りつづけ、環境中が散乱する光によって埋めつくされて、交差する光線の集まるところが幾つも幾つもできるとき、私たちはそこで初めて環境が「照明」されていると感じ、それは「光のネットワーク」に包囲されているのだとも言えます。
アメリカの心理学者ジェームズ・ギブソンは、そうして「照明」という事実を「光の集まりの束とその集合」として考えることで、「見る」ということが、ひとりの知覚者に限られた一回きりの出来事として起こり、他の誰にも共有できないことだという常識を打ち破ろうとしました。
つまり、「見え」の根拠は私たちの眼や頭の中にあるのではなくて、照明の構造の方にこそあって、私たちはその中を動き回ってそこにあらわれる情報を探ることで、他者といつでも知覚や意味を共有できる可能性が、これまでも永続的に残されてきたのだと。
同様に、今週のうお座もまた、自分が参加することを今もなお待っていてくれている何らかのネットワークに改めて繋がっていくこと、そこに開かれていくことがテーマとなっていくでしょう。
うお座の今週のキーワード
個人として閉じるのではなく、個人と集合の境界を開いていくこと