うお座
実感が深まるということ
補助線の反対側から見る
今週のうお座は、編集における「ひっくり返し」のごとし。あるいは、フッとわかって何かに出会い、パッと開いていくような星回り。
例えば青空の中に浮かぶ月というのは、誰かの見た夢が不意に現われたようなところがあるものですが、そういう内と外を越えて、なんだか自分や現実というものがわからなくなるところにフッと吸い込まれるような「感じ」というのは、作品を作るにせよ、事業を興すにせよ、誰かとの関係を深めるにせよ、すごく大事になってきますし、逆にそういう「感じ」がないと、ただいたずらに材料や手間をこねくり回すだけになってしまうはず。
そのあたりの感覚について、編集工学研究所の松岡正剛と物理学者の佐治晴夫が、対談のなかで非常にうまいことを言っている一節があったので、以下に引用してみましょう。
佐治 誰しもいつもは、やっぱり「自分」と「自分以外」のものを分けていますよね。だからそれがうまい具合に行き来できて、自分が向こうに行って、向こうのものが自分に入るということができるとすごく楽になるんでしょうね。荘子は有名な蝶々のことを言っていますよね。私は夢の中で蝶々が舞っているのを見た、と。
松岡 蝶々が夢を見ているのか、夢が蝶々を見ているのか、どっちかわからない。
佐治 そう。それで目が覚めたら、ああ、あれは夢だったと気付く。しかし、そこで終わらないで、じゃあここにいる私というのは、あの蝶々が見ている夢かも知れない。
松岡 「胡蝶の夢」。
佐治 このひっくり返しがいいですよね。実はね、数学を解くときにほんとうはそれがあるんですよ。何か易しい幾何で問題をご一緒に解いてみるといいと思うんですけれど、その発想があるとじつに明快に解けるわけです。幾何学でも補助線をどういうふうに引くかということですが、補助線を引くのではなくて、その補助線を引かれた反対側から見ると解けるんですね。
松岡 それは、「編集」という場でもたくさんおこるんです。それがフッとわかる瞬間に何とかうまく出会っていくと、パッと開くんですね。
これは、自分の側からばかり見るのではなく、自分の外から自分を見ていると、まったく自分の想像をこえた発見が出てきたりする、というようなことでもありますが、20日にうお座から数えて「実感」を意味する2番目のおひつじ座で新月(日蝕)を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたひっくり返しの発想を改めて大切にしてみるといいでしょう。
夢遊病者のごとく
ここで思い出されるのが池内紀の『錬金術師通り―五つの都市をめぐる短篇集』という短編集です。ウィーンやプラハなどの東欧の都市にまつわる物語が五編おさめられており、それもカフカのあとをたずねてどこどこに行きましたなどという野暮な内容ではなく、すべてを幻想にみちた小説仕立てにすることで、かえって東欧の都市の雰囲気を濃厚に感じられるように作られています。
たとえば、カフカが少年時代を過ごしたプラハの旧ユダヤ人地区ゲットーを訪れる話では、地下牢とカフカ自身が形容していた「細い通りが迷路のように入り組んでいる」場所に出くわした<私>は、カフカの次なような言葉を思い出します。
私たちの内部には、あいかわらず暗い場末が生きています。いわくありげな通路が、盲いた窓が、不潔な中庭が、騒々しい居酒屋が、陰にこもった宿が――(…)陰気な壁のような建物がつづく。どの窓も小さい。部屋はきっと昼間でも暗室のように暗いのだろう
そうして<私>はその言葉の通りの細い通りから通りを歩きながら、いつの間にかウィーン郊外の魔法じみた暗さへと潜り込み、その土地にゆかりのある作家の精神に導かれていく……。これもまた、先の「ひっくり返し」の好例でしょう。
そして今週のうお座もまた、いつの間にかどこかで見た夢のような道の奥へと迷い込んでいくことになるはず。
うお座の今週のキーワード
心の襞にはいりこみ、つつまれる