うお座
やさしさに包まれて
春雨幻想
今週のうお座は、『心臓はどっかにあって春の雨』(中山奈々)という句のごとし。あるいは、鋭くとがった「わたし」でいるより、あたたかく繋がった「わたしたち」で在ろうとしていくような星回り。
掲句において心音の震源地はここではない「どっかにあって」という、あいまいな所在へと移され、それでいて「春の雨」のようだという。陰鬱なイメージが極まる冬の雨とは対照的に、「春の雨」という季語はどこか明るく、人肌にちかい温もりのようなものを思い出させてくれる。
掲句においても、春の雨の暖かな感触に浸っていくなかで、かたくなに自他を分け隔てててきた肌が溶け出していき、さながら巨大なほ乳類の体内に呑み込まれ、その鼓動のなかで安心しきって眠っている赤ちゃんのような気持ちになってしまったのかも知れません。
心臓は時に鳥類のそれのように空高くあって、シャワーのように私たちに心音をあびせ、時に魚類のそれのようにみな底深くにあって、湯の底から昇ってくる泡のように私たちをとろけさせる。
何も大地の上に固定された時計のように規則正しく一定の場所にはりつけになっている必要はなく、どこまでも広がっていけるし、どこにだってあり得るのだ。
2月20日に自分自身の星座であるうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そんなとかくバラバラに冷たく響きがちな心音が、大きくひとつに包みこまれていくかのような気持ちに自然となっていきやすいはず。
「ほっこり」いろいろ
ほっとして一息つくだけでなく、さらに心温まる気持ちになったことを「ほっこりした」などと言います。さながら「ホッカホカ弁当」のようでもありますが、「ほ」「こ」「り」と、いずれも空気の擦れた音が連続するこの擬音表現は、どうも人に息をとことん吐かせるように出来ており、その点にこそ本質があるように思われます。
つまり、重い荷物を長いこと背負って下ろしたときの安堵感とともに漏れる吐息にしろ、これ以上のないというほど目まぐるしく忙しい1日をやっと終えたときの嘆息にしろ、とにかくそこには重たくなった身をほどいて羽を伸ばすときの解放感があるのです。
さらに語源に目を移してみると、「火凝る」つまり物を焼くという意味の他動詞の連用名詞形である「ほこり」に景気づけの促音「っ」をつけたのが「ほっこり」だという説があります。これはその「ほこり」の語幹「ほこ」を重ねた「ほこほこ」から「ほかほか」や「ぽかぽか」など南洋の太陽の下を感じさせる温暖な副詞や「日なたぼっこ」という言葉が生まれたことからも確かであると感じさせられます。
ちなみに、「ほっこり」に関しては「ぼける」「ぼんやりする」という意味の「惚く」という動詞の名詞形「ほけ」から「ほけあり」という形容動詞が生まれ、それが縮まったものという説もあるそうですが、こちらも真偽はともかく、かわいらしく、現代の若い人たちがその意図で使い始めてもおかしくないという気がします。
今週のうお座もまた、みずからを大きく包みこむための手段としての「ほっこり」という言葉の使い方やコミュニケーションを編み出していくことがテーマとなっていくでしょう。
うお座の今週のキーワード
ほけあり