うお座
覚めた目で見届けるべきもの
それは我が魂が軋む音
今週のうお座は、草薙素子の抱いた疑問のごとし。あるいは、「そもそも私であるということは何であることなのか」といった謎の感覚を呼び覚ましていくような星回り。
『マトリックス』に影響を与えたことでも知られる士郎正宗の『攻殻機動隊』(漫画原作は1995年刊行)で描かれた近未来世界では、すでに人間は当たり前のようにサイボーグ化され、身体は自由に付け替えのきく「義体」と呼ばれるものとなっていますが、主人公の草薙素子はそうした事態そのものに疑問を抱き、ある時ふと次のようにつぶやきます。
私は時々『自分はもう死んじゃってて、今の私は義体と電脳で構成された模擬人格なんじゃないか』って思う事もあるわ
もしそうだとしたら、もう死んでいる「自分」とは、一体誰なのか。また、そういう「自分」と「今の私」とはどういう関係にあるのか。あるいは、仮に今の私が「模擬人格」なのだとすれば、オリジナルの自分の人格や記憶などはどこまで再現されているのか。そして、もしそれらの疑念にすべからく妥当性があったとして、「今の私」が現に今こうして考えていること自体は疑いようがないように感じられるのはどうしてなのか。
こうした疑問群は、ヒトゲノムの解析が進み、生体科学の研究や技術開発がさらなる進展を遂げるであろう2020年代末にはますますリアリティーを増していくでしょう。とはいえ、今の時点でさえホンモノの「人間」が周囲にどれだけいて、他でもない自分自身もニセモノではないと確信できるかと問われれば、すでに怪しいものなのではないでしょうか。
10日にうお座から数えて「実感」を意味する2番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が現に生きているという確信を得るために、一体何が必要なのかということがおのずとテーマになっていくはず。
小松左京の『継ぐのは誰か?』
1972年に発表されたこのSF小説の中で、小松はコンピューターを用いた理論的な普遍生物学を提唱し、可能な限りの進化パターンを全て網羅しようという研究を描いたという点で、近年の人工生命研究を50年以上前に既に予言していた訳ですが、改めてその先見の明には驚くべきものがあったように思います。
タイトルにも現れているように、作品テーマは「人類を越えるもの、人類を継いでさらにその先に行くものはいないのか」ということなのですが、これは環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんなどに見られる若い世代を中心とした「(地球は)そろそろ限界を迎えつつある」という共通認識とも表裏の関係にあるものと言えるでしょう。
途中、舞台である学園都市の学生たちの指導教授が、警察関係者から「人類の危機なので協力してくれ」といわれた際に、苦笑しながら次のようなセリフを言う場面があります。
科学は、人類が滅びるのを助けるために一肌脱いだりしませんよ。人類が滅んでしまっても、一向にかまわない。もちろん、「人類の滅びの論理」には若干の興味はあるでしょうがね。私は、人類が滅びる時でも、そうした覚めた目で、最後まで見届けたいと心掛けています。
これは日本社会だとやや誤解を招きかねませんが、科学的精神の本質に触れた発言であると同時に、今のうお座の人たちに求められる理想的態度でもあるように思います。今週のうお座は、先の草薙素子しかり、できるだけ生々しい人間的感情を突き放した冷静な視点に立って、自分自身や自分たちの運命を見つめ直してみるといいでしょう。
うお座の今週のキーワード
いずれ滅びるか、すでに滅びたか、現に滅びつつあるかだけの違い