うお座
バカだな、同じところにいるなんて
奉公先はその気になれば変えられる
今週のうお座は、深沢七郎の『生態を変える記』の一節のごとし。あるいは、ひょいと自分なりの「くらがえ」にいそしんでいくような星回り。
大正生まれの深沢は商人の家に生まれたこともあって、中学を卒業するとすぐにデッチ奉公に出されたそうですが、いとこの影響もあり、何回も奉公先をくらがえしたのだそうです。その上で、彼はエッセイ「生態を変える記」に次のように書いています。
デッチ奉公をした者にはよく判ることだが、その国に住んでいることは「こうしてはいけない、ゼニの稼ぎは出せ、きめられたとおりにことをしろ」と主人に言われるのと同じだと思っている。ゼニを出せということは税金のことで、これも稼ぎのうわ前をはねられることなのである。言うことをきけというのはデモで反対したことも従わなければならないことで、こうしてはいけないというのは官僚や政治家の都合のいいようにきめられることである。
つまり、旦那が奉公人に勝手な我儘を言っているのと同じである。それだから、その国に住んでいることはその国に奉公しているデッチと同じだ、と私は思っているのである。奉公人はその家が厭になれば奉公先をかえる。つまり、くらがえするのである。ほんとに簡単なこの法則をなぜみんな実行しようとしないのだろうか。
確かに、昨年のオリンピック開催にしろ、先月の参院選の結果にしろ、日本人というのは何だかんだ言いながらも、奉公先を変えることをよしとしない/できない人が多い傾向にあるのかも知れません。
その意味で、19日にうお座から数えて「生き延びる方策」を意味する3番目のおうし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、生きていれば「バカだな、おなじところにばかりいるなんて」なんて言っていたであろう深沢の言葉を改めて噛みしめていくべし。
ディアスポラ
これは元来は「離散/離散地」を意味するギリシャ語で、2世紀のエルサレム陥落以降、世界の様々な地域に離散して暮らさざるを得なくなったユダヤ人の在り方を指す言葉です。
そしてその暮らしの中では異文化との融合、あるいは異文化への同化が、意識的・無意識的に進行していった訳ですが、近現代の植民地支配を典型とする文化的な支配・被支配の関係は、多くの人々に言語の習得の過程で社会的かつ暴力的な他者性を刻印し、そこでは言語による自己表現において恐ろしい屈折をはらんできました。
例えば、近代以降の日本でも英語教育が当たり前になされてきましたが、英文は読めても自国の数百年前の文献は読めないという日本人はとても多いでしょう。
そういう意味では、日本人もまた知らず知らずのうちに「ディアスポラ」的な屈折を抱え込んでしまっているはずなのですが、物理的に植民地支配を受けたことがない歴史がわざわいしてか、どうにも日本人は自分たちの「ディアスポラ」性への無自覚さが際立っているように感じます。
今週のうお座もまた、まずは自分が無意識のうちに慣れきってしまった断絶や受け入れてしまっている被支配的な構造について、改めて見直していきたいところです。
うお座の今週のキーワード
自分自身をひとつの境界(ボーダー)そのものと感じていくこと