うお座
まことを紡ぐ
ある鎮魂歌
今週のうお座は、『はりつけにあらず寝釈迦は寝給へり』(及川貞)という句のごとし。あるいは、密かに、情熱をこめて、自身の主観を結晶化させていこうとするような星回り。
寝釈迦像を拝していて、かえってキリスト教の磔刑図を思い出したという一句。
キリストは手足を釘で打たれ、垂直に吊るしあげられたまま、横腹を槍で突かれて罪人として刑死するという、大層むごたらしい姿で最期を迎えましたが、一方の釈迦はたくさんの弟子たちに惜しまれつつ、安らかに横たわって永眠した訳で、掲句はそうした開祖の死の相を通して、両宗教の違いを対照的に示しているのだと言えます。
ただし、この「寝給えり」という言葉には、ただ釈迦の安らかな死に際を想像して安堵の微笑をうかべたという牧歌的な調べが流れているだけではなく、戦争に召集された我が子を南方の戦線で亡くした母親が抱く、鎮魂への切実な願いが込められていたはず。
すなわち、せめて死後には「寝釈迦」のように平穏な“仏”となって、苦しみから解放されてほしいという祈りが掲句の核心にあったのではないでしょうか。
同様に、4月9日にうお座から数えて「情念の発露」を意味する5番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、どこにぶつけていいか分からないやり場のない思いを、自分なりの仕方で祈りへと練り上げていきたいところです。
真事と真言
例えば私たちの意識の中にも、残忍さだとか、過激な衝動など、世間的な良識の枠内には収まりきらないのが潜んでいる訳ですが、でもだからこそ、ひとりでは矛盾や欠陥をもったパズルの一ピースのごとき個人として在らざるを得ない私たちは、自分にぴったりハマる<まこと>の関係を求め、あるいは不完全な関係性の中に<まこと>を立てていこうとするのかも知れません。
<まこと>は漢字で「真事」とも書けます。例えば、孤独ということも、誰しもが避けては通れないという点で<まこと>でしょうし、一方で人生において時おり宇宙と自分とが調和してなんだか不思議な偶然が重なる瞬間も<まこと>でしょう。
<まこと>には、かならず運命感覚とも呼ぶべき、なんというか「こうあるべくしてそうなった」必然性への直観がついて回るのです。
もちろん、客観的な裏付けなどはありません。けれど、深い直観に紐づいた言葉というのはやはり「真言」であり、その響きはおそらくあなただけでなく関係を結んだ相手にも調和を与えていくはず。その意味で、今週のうお座はできるだけ自分の直観を信じて、<まこと>の関係を感じていくべし。
うお座の今週のキーワード
運命感覚のはたらき