うお座
大きく終わりを思い描く
詩人の仕事
今週のうお座は、「冬曇身の行末を機械にもたれ」(細谷源二)という句のごとし。あるいは、大きい言葉の代わりに小さく、ささやかな言葉で自身の現状を語っていくような星回り。
かつて俳句の社会性ということがよく言われた時代がありました。俳句は花鳥風月などの“非現実的”なモチーフに終始するばかりでなく、労働争議や安保問題など日本戦後社会の歪みと結びついた“現実的”なモチーフを取りあげるべきだと言う訳です。
しかし、そうしたメーデー!とさえ詠えば社会性が詠えているように考えられた当時の風潮に対し、作者はそれでは「スローガンや愚痴になったりしてしまう」と指摘した上で、次のように述べていました。
いかなる場合と言えども文学を政治に従わせることは、あきらかに間違った考えで、政治と文学は同等の位置づけにあって平行線をもって進むべきものである。(中略)はたらく人間の常に追いもとめる美を生活の中からつかみ出し文学に創り上げることで、生活にうるおいを加えるために生活俳句は存在すると言っても過言ではない。
彼の言うように、詩はもともと純粋な感動や発見から出発しているもので、結論や目的のために詠うものではなく、そこで発見されたものが、たとえ「そこはかとない不安」であったとしても、あくまでそれに繊細に寄り添って、洗練された言葉に置き換えていくのが詩人や俳人の仕事というものでしょう。
11日にうお座から数えて「時代精神」を意味する12番目のみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自身の生活の背景にある景色についていつも以上に目を凝らしてみるといいかも知れません。
締めくくり方こそ大事なれ
例えば、「国破れて山河在り」という詩は日本でも有名ですが、杜甫はこの詩を「白頭かけば更に短く/すべて簪(しん=冠)にたえざらんと欲す」という一節で終わらせており、この締めくくりの一節によってこそ、この詩はいつまでも人々の心に残るような詩となっているように思います。
「簪」すなわち冠とは役人の象徴であり、乱れた世を元に戻すための事業への参画するため、早く仕事に戻りたいという杜甫の思いを表しています。同時に、「白頭かけば更に短く」とあるように、年老いた自分にはそれさえもかなわぬのかという嘆きもある訳で、いやそんなことはないはずだという祈りと嘆きとが、そこには同時にかけられているのです。
これが歯が抜けて物が満足に食えなくなったとか、最後は安らかに逝きたいという個人的な愚痴や願望で終わったならば、この詩のスケール感はずっと小さいものとして尻つぼみに感じられたはず。今週のうお座もまた、ひとつ自分の終わり方まで思いを広げていきたいところ。
うお座の今週のキーワード
哀切