うお座
敬意をめぐらせる
未開の野性を取り入れる
今週のうお座は、「異形異類」の再浮上のごとし。あるいは、これまで打ち捨てられ、顧みられなかったものに、改めて向き合っていこうとするような星回り。
歴史家の網野善彦は『蒙古襲来』の中で、中世社会では初めから農業部門と非農業部門との相互に独立した分業体制が存在していたとした上で、13世紀後半の南北朝時代こそ未開から文明への転換期だったとして、次のように述べていました。
この農業民・非農業民のそれぞれの世界にあらわれてきた転換のなかに、私は未開の最後の組織的反撃と、文明の最終的勝利の過程があった、と考えてみたいのである。私には、日本民族はきわめて早熟に文明の世界にはいりこんでいったのではないか、と思われてならない。とすれば、未開の野性が、その素朴さとともに、日本の社会のいたるところに、なお長くいきいきとした生命力をもって、躍動しつづけていたと考えるほうが、むしろ自然なのではあるまいか。(中略)もとより未開のエネルギーは激しい反撃をこころみ、文明の世界のいたるところに、さまざまな刻印をのこしてやまなかったのであるが、巨視的にみればこのようにもいえるだろう。
ここで「未開の野性」と形容されたのは、職人、非人、悪党、遊女などの非農業民であり、「異形異類」と呼ばれ、文明化とともに次第に差別の対象となっていった彼らの生活そのものの中にいきる知恵を汲んでいくことで、網野は行き詰まりを見せる近代文明の課題に応えることができるのではないかと考えていたのです。
10月6日にうお座から数えて「不可欠な支え」を意味する8番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分に足りないものや思想を、きちんとその源流まで遡って見定めていくべし。
エッカーマンにとってのゲーテ
後に『ゲーテとの対話』として文学史上にその名を刻む不朽の人生指南書を書いたエッカーマンが、かねてよりその著書を愛読し、崇拝さえしていた70過ぎの老ゲーテに会いに行った時、彼は29歳の凡庸な新進作家に過ぎませんでした。
ゲーテをしても、初対面の彼に時代を切り開く才を見出すことはできなかった代わりに、みずからの人生の記録係として彼以上の人物はいないと直感し、近くに住まわせまでしてその後10年にわたる親密な交流を築いていきました。
ゲーテは彼にさまざまな教えを注ぎ続けましたが、一流の自然科学の研究者の立場から、自然との向き合い方についても次のように語っていました。
自然は、つねに真実であり、つねにまじめであり、つねに厳しいものだ。自然はつねに正しく、もし過失や誤謬があるとすれば、犯人は人間だ
自然は、生半可な人間を軽蔑し、ただ、力の充実した者、真実で純粋な者だけに服従して、秘密を打ち明ける
ここには、現代人が失ってしまった畏敬の念というものがどんなものであるか、また何をもたらしてくれるのかが的確に述べられているように思います。そして、エッカーマンにとっては、ゲーテこそが何よりの‟自然”そのものだったはずです。
今週のうお座もまた、自分にとって特別な相手との結びつきこそが人生の宝なのだということを、改めて感じとっていきたいところ。
うお座今週のキーワード
畏敬の念