うお座
心地いいかたまりになる
あわいに立って響きを感じる
今週のうお座は、「足音がかたまつてくるねじやかかな」(阿波野青畝)という句のごとし。あるいは、ひとつのかたまりの一部になっていくような星回り。
「ねじやか」は“寝釈迦”で、釈迦涅槃像のこと。タイの仏教寺院のものが有名ですが、日本でも法隆寺五重塔に安置されているほか、古くから修験道の修行場などの巨岩に彫られてきたりもしました。
掲句では、「足音がかたまってくる」という表現が肝になっています。お参りにやってきた人びとが近づいてくるその足音が、大地にかたまって響き伝わってくるということですが、それを聞いているのは作者の心であるのと同時に、寝釈迦そのものの心でもある。
つまり、ここでは作者と寝釈迦とが一体となっているところから詠いだされているのであり、寝釈迦そのものが生命を得たかのような表現となっているのです。
これが完全に寝釈迦の方へと心が移動しきっていたなら、もう少し「待っている」というニュアンスの表現になっていたはずですし、掲句のような微妙なあわいには立っていなかったでしょう。
10日にうお座から数えて「一体感」を意味する4番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分と対象とのあわいに立っていく中で不意に一体感の深まりを感じていくことができるかも知れません。
<境界線の向こう側>に浮かんでいるもの
そもそも、人の身で生まれてくるということは「生きてるだけで丸儲け」であるくらい有り難いことである一方で、釈迦が一切皆苦(すべてのものは苦しみである)と説いたように、生老病死のいずれもが思い通りにはならないように出来ているという、大いなる矛盾を抱えている訳です。
さらに高度に複雑化した現代社会ではさらに事は厄介になります。現代人として生きるということは、職業や年収、ジェンダー、見た目や服装など、さまざまな観点から容易に線引きされ、いつの間にかそこで生じてしまう断絶を受け入れながら生きていかざるを得ないからです。
したがって自らの苦しみをなくしていこうとするならば、単に自分だけが富み栄えていこうとするだけでなく、どこかそうした線引きや断絶を超越した<境界線の向こう側>に浮かびつつ、それら一切を包摂しているような大いなる存在と一つになっていく体験が必要になってくるのではないでしょうか。
今週のうお座は、そうした矛盾を矛盾として突き放しつつ、どこでならそれを受け入れられるか、その着地点を模索していくことになりそうです。
今週のキーワード
死んだようでもあり生きているようでもあり