うお座
戻れない時間と人生のこの先
自分なりの叙事詩を語れ
今週のうお座は、「ゆく春やうつろの甕を草の上」(長谷川春草)という句のごとし。あるいは、いつもより少し長大な物差しで過去と未来について想いを馳せていくような星回り。
よき季節である春がついに去ろうしている。そのむなしさを、青々とした草に置かれた「うつろの甕(かめ)」に託した一句。
作者は銀座に飲み屋を開いていた人で、甕は酒か食品が入っていたものを、店で使い切って空けたのでしょう。いずれにせよ、柔らかな草をおさえつけてそこに鎮座している重い甕は、作者にとって日常生活のシンボルであると同時に、どこかへふらりと流れていきがちな心を鎮めてくれる船の錨(いかり)のようなものだったのかも知れません。
そう考えると、「うつろの甕」というのどこか不思議な童話や昔話の世界の重要アイテムのような雰囲気さえ漂ってきます。おそらく、その中には目には見えずとも、これまでも作者の心をざわつかせてきたさまざまな想いがそこに封じられているのではないでしょうか。
そして、そうであるからこそ、これから世界を覆い尽くしていく「草」の緑との対比が生きてくる訳で、そこには人が人として生きていく上で追わざるを得ない深い業と、それでも与えられているいのちあるものとしての可能性という構図も重ねられているように思います。
27日にうお座から数えて「ビジョン」を意味する9番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの人生をひとつの叙事詩として捉え、語り直してみるといいでしょう。
分断を超えて
例えばカルミネ・アバーテの『帰郷の祭り』という自伝的小説では、貧しい南イタリアから外国へと出稼ぎに行った労働者の、故郷やそこで待つ家族への狂おしいほどの郷愁が、少年の目を通して語られていきます。
ずっと前から、僕には分かっていた。僕たちみんなのために、僕たちの未来のために、フランスで生活する父さんがどれほどの犠牲を捧げているか
彼らにとって、故郷とは「こんなに近くに感じているのに、失われてしまったもの」として存在しており、ほとんどの人が当たり前だと感じている「今ここ」さえも、政治や自然など大きな力の前では否応なく、時に永遠に、喪失を余儀なくされてしまうのです。
そしてこれは何も遠い異国のきわめて珍しい例外的エピソードなどではなく、現代の日本人においても、もはやいつ何時でも起こり得る「分断」的事態であり、特にそうした断絶やその痛みをもっとも感じていきやすいのが今のうお座の人たちなのだと言えます。
その意味で今週のうお座は、結局のところ自分がいま心の底から橋渡ししたい「分断」とは何なのかということが、浮き彫りになっていくのかも知れません。
今週のキーワード
「よろこびと、苦しみとが、同じぐらいの感謝の思いを生じさせるならば、神への愛は、純粋である」(シモーヌ・ヴェイユ)