うお座
軽くなるためのリセット期間
ただひとり異邦人として在ること
今週のうお座は、「洗面器の底に西瓜の種一つ」(篠崎央子)という句のごとし。あるいは、「本来いるべき場所ではないところに自分が置かれている」といった感覚が強まっていくような星回り。
西瓜(すいか)の種は、ふつう洗面器の底には付かない。それはいわば、あるべき本来の居場所ではない場所に存在している異物であり、境界線を生きるディアスポラ(故郷喪失者)なのです。
しかし、なぜ、どうやって、いつから、種はそこにあったのか。自分が気付いていなかっただけで、もしかしたらずっと以前からそこにあったのかも知れませんし、もしかしたら、それらしい理由や経緯なんか存在しないのかも知れません。
因果律で物事を説明する習慣を自明のものと思い込み過ぎている現代人はつい忘れがちですが、そういうことはこの世界では珍しくありません。だってそもそもの話、私がこのような私として存在しているということ自体が、根本的にはどんな説明も寄せ付けない1つの“謎”に他ならないのですから。
その意味で、この句は何の疑問も持たずに日常に埋没しきっている生活者に、根源的な存在感覚に付随する不安を呼び覚ます目覚まし時計のようなものなのだと言えます。
8月4日にうお座から数えて「どこでもない場所」を意味する12番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな種のように、できるだけ慣れ親しんだ日常から離れた自分ひとりの静かな時間や場所を確保してリセットを図っていくといいでしょう。
「女時」の自分を見つめていく
あなたの中にある倦怠、虚脱感、退屈さ、そしてそれらの原因となっている心の重荷や不純物をただ静かに見つめていくことが出来たとき、何らかのかたちでヒントとなる情報やイメージがあなたの中に浮かんでくるかも知れません。
例えば、能の大成者である世阿弥は、「男時・女時」という言葉を用いた日本最古であろうスランプ論の中で次のように述べています。
「去年盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。時の間にも、男時・女時とてあるべし。いかにするとも、能のよき時あれば、必ず悪き事またあるべし」(去年大いに運もついて調子がよかったならば、今年はこれといった華のない年になることを覚悟すべきだ。タイミングにも「男時・女時」というものがあって、どんなに優れた才能の持ち主であれ、どんな努力を重ねてきた者であれ、良い出来につながる時もあれば、かえって悪い出来につながってしまう時もあるのだ)
女時(めどき)、つまり運のつかない時、調子の出ない状況にある時、その最良のやり過ごし方は、いたずらにその状況に抗うのでも、さっさと逃げ出してしまうのでもなく、まずじっくりと「女時の自分」に付き合い、向き合っていくことではないでしょうか。そんなことを大切にしていきたい今週です。
今週のキーワード
不安の種