うお座
反対物を統合する
ゼウスとディオニソス
今週のうお座は、レヴィ・ストロースの『神話の構造』という論文のごとし。あるいは、自分の活力の源をしかと見定めていくような星回り。
この論文は、天から生まれてきた種族と、地から生まれてきた部族の、その子孫として人間は可能かということが論じられており、要するに反対物を統合する者としての人間の運命の根源が神話の構造の中に見出されるということです。
例えばギリシャ神話であれば、だんだんと首長制を確立し高みに登りつめていくゼウスは、その反対の分身として、酒と狂乱の神として絶えず母胎回帰的であろうとするディオニソスを必要とするのであり、ディオニソスこそ自身もまた父であるクロノスに反旗を翻して王権を獲得したゼウスの起源における反社会的なものの表れなのです。
権力者としてのゼウスの立場からすれば、ディオニソスは本当は切り捨てなければならないんだけれど、それが自分の活力の源だということを知っているために、簡単には切り捨てられないということでもあります
これは日本神話のアマテラスとスサノオの関係にも言え、アマテラスだけでは全体的なまとまりは作れない。常に危険な存在としての後者がいて、追放はしなくちゃいけないけれど、じつは必要な存在であるということ。
10日にうお座から正反対の位置にあるおとめ座で満月が起き、同じタイミングで水星が順行に戻っていく今週のあなたもまた、自分の運命をよりダイナミックなものにしていく上で欠かせない相手や図式とはどんなものなのか、改めて浮き彫りになっていくでしょう。
トルソー的身体
ボードレールの「バッカスの杖」という詩に「曲線と螺旋とが沈黙の愛情を注ぎながら直線に言い寄り、その廻りで踊りを踊っている」というの一節が出てきますが、この酒の神バッカスとはギリシャ神話におけるディオニュソスのことに他なりません。
そして、そのディオニュソスを祀る秘祭で用いられる蔓を巻いた松明(テュルソス)こそ、頭や手足のない胴体だけの彫像(トルソー)の語源であり、すなわちディオニュソス自身が手足や頭部を寸断され、剥奪された「トルソー的身体」そのものであることを暗示しているのです。
狂気の神でもあったディオニュソスは、死への衝動を含み込んだ生きる意志のシンボルとして、周囲を凄まじく巻き込む強烈なカリスマ性で知られてきましたが、そのパワーの秘密こそ四股や衣服にとどまらず、皮膚さえも剥ぎ取られた「トルソー的身体」にあり、これは強大な心身で関わる女性と次々に交わり、支配下においていった「ゼウス的身体」とはやはり対極にあった訳です。
今週のうお座もまた、一切の虚飾やごまかし、ポーズをそぎ落としていくことで、かえって自身の運命を好転していく感覚をつかんでいきたいところです。
今週のキーワード
何がするかではなく、いかに在るか