うお座
黙読以前へ
声を出して読むべきものは何か
今週のうお座は、聴覚から開けるめくるめく世界のごとし。あるいは、グーテンベルク活版印刷が普及する以前の世界へタイムスリップしていくような星回り。
知らないとなかったことになりがちな歴史がこの世界には多くある訳ですが、中でも15、6世紀頃まで、人々はいちいち声を出さねば読書ができなかったという事実は、「虚を突かれる」という言葉にふさわしい事実でしょう。
思えば、『源氏物語絵巻』にも女官たちが読む絵巻を侍女たちが耳をそばだてて聞いている光景が描かれていますし、中世の修道院図書館の図版などには「キャレル」というブース付きの閲覧室が描かれ、これは本を読むときの声が隣りに聞こえないようにするためのものだったと言います。
つまり、洋の東西を問わず、読書などのあらゆる知的営為の根本は、声を立てて読まれていたのであり、人類の知的営為はおもに聴覚回路を通して行われてきたのだということです。
16日(日)にうお座から数えて「神託」を意味する9番目のさそり座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、音声と聴覚によって言葉を覚え、ものを知り、色を身体化し、ふだんの視覚優位の情報回路とは別の仕方で知の形成や再構成に従事してみるといいでしょう。
聴覚的曼荼羅
例えば、かつて松岡正剛はアレン・ギンズバーグの『吠える(Howl)』という詩について、「ぼくが好きな詩とはいえないが」と前置きしつつ、次のように評していました。
「それは幻覚っぽくて前兆めいていて、ジャジーであって露悪的であり、反ヘブライ的なのに瞑想的で、夜の機械のようでも朝のインディアンのようでもあるような、もっと言うなら、花崗岩のペニスをもった怪物が敵陣突破をはかって精神の戦場に立ち向かったばかりのような、つまりはビートニクな言葉の吐露だった。」
さて、ギンズバーグの詩がどんなものか、これであなたは具体的に想像できるでしょうか。
夢がどこからやってくるものなのかは誰にも分からないように、良い詩というものもまた、それがどこから生まれてくるのか誰にも(作った本人でさえ)分からないものですが、ただそれはまず「音楽的」なものとして人間に感取されるものなのではないでしょうか。
今週は、視覚的な意味やデザインから離れたところで聴覚的に感じとることで、立体化してくる豊かさに触れていきたいところです。
今週のキーワード
マントラとしての知的資産