うお座
劇場をつくる
劇的な感性を奮い起こす
今週のうお座は、特定の誰か、もしくは複数の人たちと一緒に聖歌隊を演じていくような星回り。あるいは、ごまかしやフェイクを打ち破る、目の覚めるような生々しいリアリティー像を構築しなおしていくこと。
「言ってしまえば僕らなんか似せて作ったマガイモノです。すぐにそれと見破られぬように上げ底して暮らしています。」
とミスチルが歌っていたように、私たちは取引先にしろ、自分自身のことにしろ、そう呼べと言われた名称でただその対象を呼んでいるだけ。
真に自分の実感を込めて名前を付けられるモノなど、その存在すらすっかり忘れてしまっています。
けれど、やはり
「誰かの語る彼を彼と思い込む行為は、自身の感受性への終止符であり、最も幼稚で非効率な態度、横着(冒涜)」
なのです。
ただ逆に言えば、自身の感受性のままに誰か何かに名前を与え、口に出して働きかけていくことは、それ自体がひとつの劇的出会い。
そしてそうした場から、劇場が誕生していくのだということでもあります。
今週は惰性で過ごすことなく、そうした劇的な感性を大切にしていきましょう。
『天使にラブ・ソングを』のデロリス
例えば何かを演じると言っても、『天使にラブ・ソングを』のように、声が美しいかどうか、音程が合っているかどうかといったことは大した問題ではありません。
能力の問題でもありません。あくまで、態度の問題なのです。
すなわち、純粋に自分を対象や場に捧げているかどうかということ。
人間もまた一つの楽器であり、楽器は演奏に際してつまらないことを考えないものです。
私たちが楽器となるとき、その響きは私たちを喜びで満たします。そして、そこには必ず、つまらない自分やがんじがらめの自我を放りだした時のような、脱力感があるんです。
そして心から脱力したり、笑ったり、喜んだりできる瞬間は、ただ何か特別な出来事を待っているだけでは決して訪れません。
そういう意味で、今週はみずから「劇場をつくる」ということがいかにして可能かどうか、改めて考えてみる時なのだとも言えます。
今週のキーワード
教会