うお座
祝福の夜明け
アンチ無感動
今週のうお座は、まぶたの裏の聖地を心にしかと映じていくよう。あるいは、眠りそうになる意識をつなぎとめ、目覚めを促していくような星回り。
哲学者のシモーヌ・ヴェイユはかつて、みずからの工場での悲惨な労働体験から、近代社会において人々が慢性的に経験するようになった重大な事態として、意識が眠ること、批判の芽も摘まれてしまうこと、心が魅入られたように完全なる隷属状態に向かうこと、という3つを挙げ、そこでは「人は意識をもつことができない」のだと、痛切に訴えていました。
その意味では、会社や学校などの交通施設は、いわば「自動的」に機能するよう促すための訓練や調教の場であり、そこでは人々は「普通」や「常識」の名のもとに、何よりも心と体を簡単に操作可能にするための「従順さ」を培っているのだとも言えます。
そして、そうした近代化の行き着く果てにあるものこそ、本能や情感に一切乱されることのない「無感動(アパテイア)」な訳ですが、これはうお座の人たちが半ば本能的に目指している人生の理想の、まさに正反対の境地なのではないでしょうか。
ただもし、今あなたが少しでもヴェイユの挙げた3つの重大事態に該当しているのならば、まずはそうした事態からいかに目覚めるかについて留意していく必要があるはず。
うお座から数えて「意識の開け」を意味する9番目のさそり座へと太陽が移っていく今週は、そうして自分が体験したい「パトス(情念、受苦)」をしかと思い描いていきたいところです。
うお座の聖地
ここで橋龍吾の「祝福」という詩を引用しておきたいと思います。
「そのまま眼を閉じてみてください。
そして又、ゆっくりと開けてみてください。
夜明けとはいつもそのように訪れるものです。」
そう、夜明けは「待つ」ものであるだけではなく、まばたきをする一瞬のうちに「見出す」ものでもあるはずです。
例えば、芸術作品に触れると感動(歓び)が溢れるのはなぜかと言えば、それはそこに表された生命の型を通して、自分の生命が息吹かれていくから。
そうして、一瞬のうちにいのち息吹くことこそが、生命体としての「テロス(究極目的)」であり、「ピュシス(自然、本性)」であり、またうお座が理想とする境地(聖地)でもあるのではないでしょうか。
今週のキーワード
アパテイア(無感動)からパトス(情念)へ