うお座
未来の消息
現実を食い破って、どこへゆく?
今週のうお座は、さながらヒコーキの魅力に憑りつかれた稲垣足穂のごとし。あるいは、功利性や合理性を超えたところに、新しい未知を創り出していかんとするような星回り。
飛行機の発明は人類に「空中世界」という未知の圏域をもたらしましたが、「地上とは思い出ならずや」と述べた稲垣足穂という文学者の起源は考えてみれば間違いなくここにありました。
つまり、彼はここで、われわれの存在自体が影で、思い出だと言っている。それは未来の誰かが思い出してくれている思い出であり、それゆえにわれわれは生きているのだと。
そういう視点からすれば、合理性とか功利性で人生を割りきろうとするのは自分たちが影のような存在だと微塵も思っていないがゆえの児戯であって、その点、足穂という人はそんな影の世界にさっさと見切りをつけて、ずっと先の未来の消息を感じ取ることに終生こだわり続け、「未来派」を貫きました。
そして、それを可能にせしめたものこそ、無から鮮やかな幻想を抽出しようという人間の精神の力が感応するような「新たな機械=ヒコーキ」というモチーフでした。
さながら足穂のように、はるかな未来の消息をキャッチし、虚空に自分なりのユートピア世界を構築していくためにも、春分そして満月と続いていく今週は、ただ口をあけて空想に耽るだけに留まらず、「未来」の方向へ現実を食い破っていくための突破口を見つけていきたいところです。
触媒としての「精神力」
例えば足穂は『ヰタ・マキニカリス』に収蔵されたフランスの航空パイオニアの名を冠した「ファルマン」という作品の中で次のように書いています。
「全く地表の空間の組織は飛行機という文明利器の爆音がとどろいて以来、どこか変化したのだ。それはなおわれわれの心の内部における場合と同様にである。しかも飛行機は人間が作った機械に過ぎぬでないか?その機械であるものがどうしてこんなにまでの影響を及ぼしているのであろう?」
といったん話を問いの形で整理してから、以下のように続けるのです。
「ここにおいて私は答えたいのである。それは、あのファルマンだのボオァザンだの、ブレリオだの、あえてこのような独創的機械を製作し、身をもってそれをマスターしようとした人達にとって裏づけられた「精神力」(Enerugie Spirituelle)そのものに他ならないと」
足穂の文学とは、ある意味でそうした類の「精神力」に感応し、近景と遠景を混淆させていくひとつの実験のようでもありました。
今週いよいようお座の季節が終わり、つぎの新しい春を迎えようとしているこのタイミングにおいて、あなたにも新たな試みに向けて走り出していく時がやって来たのだと言えるでしょう。
今週のキーワード
あなたが心の底から感応できるモチーフは何か