うお座
持たざる自由の徒
原石鼎の場合
今週のうお座は、「秋風や模様のちがふ皿二つ」という原石鼎の句のごとし。あるいは目に見えない縁によって繋がった人間との分かち合いの中で、たくましく変貌していくような星回り。
作者による前置きには次のようにある。
「父母のあたゝかきふところにさへ入ることをせぬ放浪の子は伯州米子に去つて仮の宿りをなす」
石鼎(せきてい)は医者の家の三男坊で、医者になれずドロップアウトする形で俳人となっていったという背景があり、さらに彼の生きた大正時代は、文芸を志すとは両親を裏切ることでもあったのです。
模様の違う皿とは、セットで一揃いの皿も買えない貧苦の象徴。
皿の冷たさと秋風のそれとが照応しあいつつ、彼の決然とした道ゆきを淡々と示しているようで、かねてより名句として知られてきました。
皿と秋風の前には、もはや長々とした言い訳はなく、寂れた四畳半の部屋で作者が静かに浮いているような錯覚さえ覚えます。
そのとき彼は、おそらく自分本来の居場所を得た「持たざる自由」の旗手としてそこに在ったのではないでしょうか。
今週は、持てる不自由と持たざる自由という対比において、自分の身の置き所を再確認していくことになりそうです。
幸運にまみれると失ってしまうもの
幸運にまみれていると、どうしても既に持っているもののありがたみに鈍感になってくもの。
さらに一度手に入れたものを失いたくないという心理も働いて、気付かないうちに窮屈な人間へと変わってしまいます。これが「持てる不自由」。
あなたには、今まわりにいる誰からも顧みられることがなくなっても、進んでいきたいと思える道はありますか?
あるいは、何か大事なものと引き換えにしてでも得たい喜びや噛みしめたい気持ちがありますか?
「持たざる自由」の人は、承認欲求を抱えやすかったり暇が精神を蝕んだりという意味では、秋冬でも半ズボン姿の小学生のように心許ない存在ですが、むきだしでいる分、ウイルスに晒されつつも免疫や新たなトモダチを得て、鋭くたくましく変貌していくものです。
歌詠みとしての本能として、石鼎にはそれが分かっていたのでしょう。
今週のキーワード
生乾きの自意識