てんびん座
死に方の練習
鏡の前で死を思う
今週のてんびん座は、「死に方をみんなで褒めて菊膾」(円城寺龍)という句のごとし。あるいは、自分の思いや行いがたどり着く姿まで想像し、それまでに何をなすべきか、問いただしていくような星回り。
「菊膾(きくなます)」とは、摘み取った菊の花びらを酢を入れた湯でさっと茹で、三杯酢や くるみ和え、胡麻和えにした秋の味覚。
それにしても、そんなものを食べながらどこか平然とした調子で死に方を褒めるなんて、北方謙三の水滸伝や、戦国時代の武士の世界を連想させて、雄々しさを感じるのと同時に、どこか奇妙な印象も与える一句です。
ただ、それも異常が正常、狂気としか思えない沙汰がさも正気です、と言わんばかりのなりで闊歩しているような現代社会では、当然と言えば当然の光景なのかもしれません。
人が悪夢から醒めて正気に戻るのにも、何かしらのきっかけが必要ですが、みずからの死というのはその最大のものでしょう。
少し重いことかもしれませんが、今週は自分がどんな死に方をしたならば、周囲の人、特に一足先に正気に戻ったであろう親に褒めてもらえるだろうかと、いちど立ち止まって思案を巡らせてみるべし。
静かな革命
本当の意味で誰かに「褒めてもらう」とは、その相手が自分の後ろ姿に向かって全身全霊でもって「うなづく」ことができるということでもあります。それは簡単なようで難しく、なぜなら「絶対的な肯定」が世の中にほとんどないように、相手を疑う心を持たない人もほとんどいないからです。
だからこそ優れた師というのは、弟子に「それはなぜそうするのですか?」と聞かれても、しばらく前方を見つめて、うなずいてから、説明せずに無言を貫くのです。
これは、「ああなってこうなって、こうなるんだ」と言葉で説明しようとしても、どれも正確には表現し切れないのです。優れた師であるほど、不正確なことには黙ってしまうものなのです。
しかし、それがかえって弟子に革命を引き起こす。こうした教え方をめぐる不思議というものがあるのだということも、どうか知っていておいてください。
今週は、ひとり沈黙の中で「自分が自分に対しうなづくことのできる生き方とは?」と、問いかけてみるところから始めてみるのはいかがでしょう。
今週のキーワード
哲学