てんびん座
初めに向き合うべきもの
受けとることは許されること
今週のてんびん座は、「朝ひとり博物館に来てをれば五千年前の陶器ほほゑむ」(櫟原聡)という句のごとし。あるいは、はるか時を超えたコミュニケーションを成立させていくような星回り。
壺か、甕(かめ)か。いずれにせよ、かつては当たり前に存在しているだけだったものが、はるか悠久の時を超えて、こちらに微笑みかけているように感じられることは確かにある。
「朝ひとり」という条件は、それを可能にさせるものの好例と言えるだろう。まだ夜の静謐な空気が残っている博物館で、差し込む朝日の中にたたずむ「陶器」の姿は、作者の目には単なるモノを超えた、自分と対等か、それ以上の存在として映ったのかも知れない。
誰にでも、いつ何時でもそれが可能な訳ではない。陶器の側が気を許した相手にしか見せない表情というものが、きっとあるのだと思う。
同様に、先人の言葉を受けとると言っても、ただGoogleや蔵書検索でアクセスすれば受けとれるという訳ではない。言葉の側に許してもらわねば、本当の意味で受け取ることはできない。そうした許しをいかに得ていけるかどうか、今週はそんなことを頭の隅に置いてすごしてみてほしい。
人間に問いかけられた自然
不確定性原理によって量子力学の基礎を築いた物理学者のハイゼンベルクは、現代人における内面の危機は、いまが「歴史上で人類が自分自身とだけしか向かい合わなくなった」時代であることに、深く起因していると述べました。
というのも、これまで人間は、自然のうちにあって自然と対立して生きており、また物質の構成要素を究極の客観的実在と見なしてきましたが、量子力学の登場によって、自然や物質を<それ自体として>観察できないことが明らかになったからです。
つまり自然科学においても、探求の対象は、人間に問いかけられた自然となったのです。自分の映し鏡のようになってくれる自然を、いかに見出し、コミュニケーションしていけるか。それこそが、今週取り組んでいくべきテーマと言えるでしょう。
今週のキーワード
映し鏡