てんびん座
ホーホーホッホー
人に告げる代わりに
今週のてんびん座は、『鰯雲人に告ぐべきことならず』(加藤楸邨)という句のごとし。あるいは、思いを雲に託していこうとするような星回り。
「鰯雲(いわしぐも)」は秋の雲のひとつで、小石を並べたような雲のかけらが高い空の一角ないし大半を占める形で出現し、昔からこの雲が出ると鰯の豊漁の知らせとして漁師に喜ばれたのだと言います。
とはいえ、もちろん作者は漁師ではなく、この鰯雲も海辺ではなく、都会の空のそれでしょう。そして、作者はひとり物思いにふけりながら、みずからの悩みを人に打ち明けるべきか、それとも黙っているべきかという岐路に立っているのでしょう。
そして、しばし時間が経過したのち、人に告げるべきではないと心に決めたのである。おそらくもうその時には夕暮れが近づいていて、鰯雲のいったんが赤く染まっていたかも知れません。
作者はそこで改めて空高くを覆う一面の鰯雲を仰いでいるうちに、そのスケールの大きさに圧倒されると同時に、みずからの存在が小さく感じられたはず。これもまた、伝統的な自然との深いところでの交感の仕方のひとつと言えます。
8月26日にてんびん座から数えて「探求」を意味する9番目のふたご座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分を圧倒してくれるものの前にみずからをすすんで立たせていきたいところです。
存在の大いなる連鎖
岩手県遠野地方に伝わる逸話や伝承について若き柳田國男が記した『遠野物語』の序文の末尾には、「おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも」という歌が添えられています。
自分はみみずくのように耳を立て目をまんまるくして『遠野物語』の効用を説いたけれど、しかし遠くの森のなかでは飛びもせず鳴きもしないでいるふくろうが、翁らしい慎み深さをたたえつつ自分を笑っていることだろう、と。
みみずくもふくろうも、どちらも森にすむフクロウ科の鳥ですが、みみずくは耳(羽角)を立てているのに対し、ふくろうは耳を持っていない。
意味や意義といったものにあまりに耳を尖らせ、目を丸くし過ぎるという仕草は、いかにも近代人的のユーモラスな風刺画と言えますが、柳田はその対極に「翁さびたふくろう」を置いてみせることで、危険を孕んだエゴの振る舞いにみずから釘を刺したのでしょう。
実際、『遠野物語』に関して柳田は記述者に過ぎず、実際の伝承者ないし語り部は民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善であり、そもそも人生の真実を言い表わすのに、ほんらい「著者」などというものは存在しないのです。
今週のてんびん座もまた、自分が目立つことよりも実質的な力を宿したり、その力を肌で感じたりしていくことをこそ優先していくべし。
てんびん座の今週のキーワード
「おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも」