てんびん座
どこへと突き抜けていくの?
苦心惨憺の果てにあるもの
今週のてんびん座は、『麦秋や自転車こぎて宣教師』(永井芙美)という句のごとし。あるいは、与えられた答えを突き破って自分なりの真理へと突き抜けていくような星回り。
麦の熟した黄金色の畑がどこまでも広がっている。そのなかを黒衣の宣教師が、自転車でさっそうと突っ切ってゆく。そんな肌にふれる風さえ心地いい薫風の季節の情感を、意外性のある取り合わせで詠みあげた一句。
この句に触れて思い出されるのは、ゴッホが『農民の墓地』という絵を描いて、弟のテオにそれを送った際に同封された手紙の一節。そこには「信仰と宗教は、堅固に打ち立てられても、朽ち果ててしまう」とあり、続けて「反対に、ささやかな農民の生と死は、いつも同じままだ。ちょうど、墓地の地面で成長する草や花が規則的に芽を出し枯れていくのと同じようにね」と記されていました。
牧師の家に生まれたゴッホは、どうしようもなくなって画家に転向するまで、ずっと貧しい人々に聖書を説く伝道師になろうと努力し続けた人でもありました。ただ、ゴッホが生きた19世紀後半当時、プロテスタントのように一大組織を形成する信仰も廃れていき、彼の絵にも廃墟となった教会が描かれていたのです。
しかし、そうしたものが脆くも崩れ去って初めて見えてくるものが彼の絵、そして掲句には映りこんでいるのではないでしょうか。それは慰めだとか救いなどといった人間のためになることなど一切考えていない果てしなさ、無限としての神の姿なのかも知れません。
5月26日にてんびん座から数えて「思想・哲学」を意味する9番目のふたご座に拡大と発展の木星が約12年ぶりに回帰するところから始まった今週のあなたも、これまでの半生を振り返りつつ、それがどんな自分なりの信条や結論へと結実していくのか、改めて考えてみるといいでしょう。
<境界線の向こう側>に浮かんでいるもの
そもそも、人の身で生まれてくるということは「生きてるだけで丸儲け」であるくらい有り難いことである一方で、釈迦が「一切皆苦(すべてのものは苦しみである)」と説いたように、生老病死のいずれもが思い通りにはならないように出来ているという、大いなる矛盾を抱えている訳です。
さらに高度に複雑化した現代社会ではさらに事は厄介になります。現代人として生きるということは、職業や年収、ジェンダー、見た目や服装など、さまざまな観点から容易に線引きされ、いつの間にかそこで生じてしまう断絶を受け入れながら生きていかざるを得ないから。
したがって、みずからの苦しみをなくしていこうとするならば、単に自分だけが富み栄えていこうとするだけでなく、どこかそうした線引きや断絶を超越した<境界線の向こう側>に浮かびつつ、それら一切を包摂しているような大いなる存在(麦秋)に向かって(自転車に乗った宣教師のように)わが身を投げ込んでいく体験が必要になってくる訳です。
今週のてんびん座もまた、そうした矛盾を矛盾として突き放しつつ、どこでならそれを受け入れられるか、その着地点を模索していくことになりそうです。
てんびん座の今週のキーワード
死んだようでもあり生きているようでもあり