てんびん座
人生をざらつかせよ!
「あれっ?」と思うとき
今週のてんびん座は、人生の謎とのランデブーのごとし。あるいは、「困惑の悦び」にじっくりと浸っていこうとするような星回り。
今は何か未知の言葉が出てきても、スマホで検索をかければ十分すぎるほど膨大な説明が出てくるようになって便利と言えば便利になりましたが、どこか言葉が私たちの外側に行ってしまって、上っ面だけを通り過ぎているように感じている人も少なくないのではないでしょうか。
少なくともそこには、新しい言葉や概念と直面したときの“困惑”それ自体を肯定的に受け容れる余地がなくなってしまっていますし、むしろそうしたラグをできるだけなくしていくことが良いことである、という方向に世の中が傾いているように思います。ただ、そういう方向に心身を適応させていこうとすると、必ず無理が出てきて心身にこわばりを生んでしまう。その点、物理学者の佐治晴夫と松岡正剛の対談『二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑―』には、そうしたこわばりとは対極的なゆるみや遊びをめぐる、次のようなやり取りがあります。
松岡 ぼくも月狂いですけど、月の出は大きく見えますが、この「ムーン・イリュージョン」と呼ばれている謎はまだ解けていないですよね。でも、指で丸をつくって他のものと比較すれば月は小さくなります。満月の月を見て手をかざしては、「これは困った」と毎回思ってしまう。こんなことがプトレマイオス以来の問題と言われていることなんですね。デカルトも解けない、バークリーも解けないし、以来ずうっと解けていない。そういう問題が、いまここにある。それは悦びであるとともに、言い知れぬ“困惑の悦び”なんですね(笑)
佐治 困惑の悦びって、いいですね。(…)いやあ、人生は謎ですよね(笑)
松岡 ときどきね、風呂から上がった瞬間に、「何をするんだったのか」と思ってしまうことがあります。風呂から出たところなのに、次のことが思い浮かばず、一時、戸惑ってしまう。それから、何かをしようと思って立ち上がったのに、「あれっ?」って思ってしまう。こういう瞬間って、いいですよね。「度忘れ」というか、「立ち往生」をした瞬間といいますか、ただのボケかもしれないですがね(笑)
佐治 そういうふうに「あれっ?」と思うときは、たぶん精神的に余裕があるときでしょうね。とにかく、何かに追い詰められているときは、スーパーコンピュータのように熱くなっていますから、そんな余裕はないです。
4月24日にてんびん座から数えて「実感の深まり」を意味する2番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、得体の知れない悦びのなかで張り詰めていた緊張がそっとほぐされていくのを感じていくことができるはず。
なめらかであるよりも
ほんとうに生きている、という感じをもつためには、生の流れはあまりになめらかであるよりはそこに多少の抵抗感が必要であった。したがって、生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強めることが少なくない
ハンセン病患者との出逢いから親の反対を押しきって精神科医となった神谷美恵子は『生きがいについて』の中でそう書いていました。彼女は病いに苦しむ人の傍らでどうしたら人は生きる希望を見出しうるか、「生きがい」を持てるのかを洞察し続ける中、何かを求めて苦労する行為こそが生きがいをもたらしてくれるのだと看破したのです。
その意味で、先の「困惑の悦び」という事態もまた、真に生きがいとともに生きるためには不可欠な通過儀礼なのかも知れません。
今週のてんびん座もまた、神谷がそうであったように、なんとなく引き寄せられてしまう困惑的事態と改めて向かい合っていくことがテーマとなっているのだと言えるでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
生きがいを深める