てんびん座
現実の暗がりを照らす
三島の戦後日本社会批判
今週のてんびん座は、もう一人の自分としての「鏡子」のごとし。あるいは、いつまでたっても解けない呪い=資本主義を突き放した目線で見つめていこうとするような星回り。
三島由紀夫は高度経済成長期に一歩踏み出し始めた1954年からの2年間を舞台にした小説『鏡子の家』という自身の作品について、「時代を描こうと思った」のだと述べています。
主人公である資産家の令嬢・鏡子は夫と別居し、8歳の娘と実家の財産を切り崩しながら自由気ままに暮らす三十女なのですが、彼女の家には年下の4人の若者が日々集まり、いずれもそれぞれの仕方で時代の「壁」のようなものに直面していると感じて、どこかに虚無感を抱えています。
4人はその後まさに栄枯盛衰を地でいく波乱万丈な人生を歩んでいくのですが、ここではその詳細は省くとして、最後にすっかり財産を使い尽くし、夫が帰ってくることになったところで、「人生という邪教」を生きる覚悟をあらためて固めた鏡子の選択を象徴するようなセリフをひとつ引用しておきたいと思います。
神聖なものほど猥褻だ。だから恋愛より結婚のほうがずっと猥褻だ。
猥褻というのは、みだらな想いで心がかき乱れ、汚れて穢れていることを表す言葉ですが、この一文は何よりも、昭和20年代の戦後の焼け跡や廃墟の光景を、暴力的なまでの圧力で葬り去り、自身の内面や記憶までも否応なく塗り替えて行こうとしていた日本人に向けられた、三島なりの痛烈な批判だったのではないでしょうか。
4月9日にてんびん座から数えて「他者」を意味する7番目のおひつじ座で新月(皆既日食)を迎えていく今週のあなたもまた、そんなかつての日本人の心の動きとそれに向けられた三島の批判の両方に、いまの自分自身の状況を重ねてみるといいかも知れません。
2つの現実
現実にはつねに2つの姿があります。ひとつは「ありのままの現実」であり、もうひとつは「のぞましい現実」。人が歌や神話のなかに見出そうとしてきたのは、つねに「のぞましい現実」への足がかりであり、そこで初めてやがて自分が実現することになる現実のイメージを得るのです。
よく「自分が何をやりたいのか分からない」という人がいますが、そういう人は「ありのままの現実」で既に満足しているか、そもそものぞましい現実のイメージの見つけ方を知らないのか、まだそのきっかけをつかんでいないかでしょう。
あるいは、イメージはあるけれど一歩踏み込んでいくだけの気力がないのか、自分がどの状態にあるのか。いずれにせよ、「このままではいけない」となんとなく感じているのなら、自分がどの状態にあるのかをきちんと認識していかねばなりません。
というのも、私たちはイメージの中で一度経験したことのある現実にしか近づくことはできないからです。過去を美化するのも、未来をイメージするのも、同じ想像力の働きですが、それをどちらに振り分けていくのか、今週のてんびん座はそこに自覚的になってみてください。
てんびん座の今週のキーワード
「憎まれっ子世に憚る」のにはそれなりの理由がある