てんびん座
両性具有的であるために
大らかな宣言
今週のてんびん座は、イザナミとイザナギの問答のごとし。あるいは、想定外への踏み出しを積極的に展開していこうとするような星回り。
6世紀に日本へ渡ってきた仏教は、日本土着の神を取り込んだだけではなく、生や性を根本のところで否定し、そこからの超越を説いてきましたし、その影響は日本人にとってじつに根深いものがあります。ただしその一方で、8世紀のはじめ頃に書かれた日本最古の歴史書である『古事記』をひも解いてみると、生と性の起源をめぐって次のような記述も登場してきます。
そこで、イザナキノミコトが言われるには、「私の身体には出来上がって、余分なところが一箇所ある。だから、この我が身体の余ったところを、あなたの身体の足らないところに刺し塞いで、国土を生み出そうと思う。生むことはどうだろうか」と仰ると、イザナミノミコトは、「それはよいことだ」とお答えになった
これは今日の感覚から見ても、とても大らかな宣言ないし公的発言であり、性の合一をもって物のかたちが完成するという信仰がそこにあっただけではなく、古代人が性をいたずらに隠蔽することをよしとしなかったということがよく分かるのではないかと思います。仏教は性のエネルギーの尋常じゃなさや制御不可能性をよく知っていたがゆえに禁じようとしましたが、イザナギとイザナミにおいてはその想定外への踏み出しを国生みへと展開していったのであり、その意味で彼らの問答は、仏教とは異なるベクトルをもった生や性への「肯定の論理」を指し示すものでした。
同様に、1月21日にてんびん座から数えて「クリエイティブであること」を意味する5番目のみずがめ座へと冥王星が移っていく今週のあなたもまた、自分に足りないものを誰かの力を借りることで補い、シナジーを生み出していくことがテーマとなっていくでしょう。
面影を追って
自分の欠損部分をちょうど補ってくれるような特別な相手のイメージというのは、じつは誰の中にでも存在しているものです。どんな荒んだ野良猫にだって、グルグルとやさしくのどを鳴らす子ねこのようにしてしまう、内なる平和の使者がいるように。
例えば、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中にも、目を閉じると昔から同じ情景でこちらを向いてたたずんでいる女性の顔が浮かんでくるという描写があったように思います。ただし、その面影はどこか曖昧で、かつては幼い自分の面倒をみてくれた姉の顔だったのが、最近はどちらかというともっぱら親しくしている愛人の顔に似てくるなど、その時々で微妙に変化していくものとしてありました。
そういうことは誰にもあるのではないでしょうか。もちろん女性の場合は、男性の顔です。
あなたには、目を閉じたときに自然と浮かんでくる顔はありますか?それはどんな顔でしょう?誰かに似ていますか?
ここまで読んだのなら、20秒でいいので、まず何も考えず、目を閉じてみることです。今週だけでも、てんびん座の人たちはそこで最初に浮かんでくる顔がどんな顔なのか、じっと観察するところから一日を始めてみてはいかがでしょうか。
てんびん座の今週のキーワード
わが心中におわす内なる平和の使者