てんびん座
自分の情動くらいは
恋愛病の果てに
今週のてんびん座は、30年前の上野千鶴子の問いかけのごとし。あるいは、他者の模倣ではなく、自分が欲しているところのものに従っていこうとするような星回り。
90年代初頭の日本では、ユーミンが「純愛」をコンセプトに曲を出し、角川書店が『贅沢な恋愛』という短編集を出していずれも売れに売れていましたが、ちょうど同時期に発表された社会学者・上野千鶴子の『恋愛病の時代』には次のような記述が出てきます。
ひと昔前は「恋愛」は「その人のために死ねるか」(曽野綾子)という能動性だったが、世紀末の恋愛は「愛される理由」(二谷友里恵)という受動性に変わってしまった。ほんとうは「愛したい」のではなく「愛されたい」だけなのだと、ベストセラーの一〇〇万部という部数は教えてくれる。「わたしを愛してくれるあなたが好き」と。異性愛とは、「自分と異なる性に属する他者を愛せ」という命題だが、<対幻想>から異性愛のコードをとり去ってみると、「愛されたい願望」はますますはっきりする。(中略)性別は「おまえは不完全な存在である」と告げるが、それを超えて完全な「個人」に近づくだけ、恋愛病は深くなる。(『発情装置』)
さらに上野は「恋愛病は近代人の病いだ」と続けるのですが、一昔前には当たり前とされた「経済的に自立できない女」と「生活的に自立できない男」の相補的な「結婚」の無理や不自然がますます加速化し、崩れつつある今、私たちは再びただの「個人」として、「恋愛したい(愛されたい)」と深く渇いているだけなのでしょうか。
上野は結びで、「ここから『愛されても、愛されなくても、私は私』への距離は、どのくらい遠いだろうか。そして自立した『個人』を求めたフェミニズムは、女を『恋愛』へと解き放つのだろうか、それとも『恋愛』から解き放つのだろうか?」と書いてみせましたが、こうした一連の問いかけは約30年の月日が経過した今だからこそ、多くの人にとって深く染み入るほどリアルな問いになったのではないでしょうか。
8月2日にてんびん座から数えて「強い衝動」を意味する5番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分は渇いているだけなのか、それとも何かを欲しているのか、改めて自問してみるといいかも知れません。
セネカの問いかけ
ここで思い起こされるのが、ローマの哲人セネカの『生の短さについて』という著作です。タイトルに反して70歳を超えるほどの長生きしたセネカですが、この本の中で繰り返し述べているのは、人生はみなが思っている以上に短くはないし、時間の使い方次第で相当のことができるが、自分の時間を生きていない者はその限りではない、ということ。
何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨めなものであるが、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人の言いなりにする者である。そのような者は、自分の生がいかに短いかを知りたければ、自分の生のどれだけの部分が自分だけのものであるかを考えてみればよいのである。
自分の教え子に自害を迫られたセネカは、最後に何を思ったのでしょうか。そういう意味では、彼の人生そのものが今週のてんびん座の人たちへの問いかけのようにも思えてきます。
てんびん座の今週のキーワード
みずからの生を自分のものにしていくこと