てんびん座
美しい死にざまを考える
メメント・モリ
今週のてんびん座は、楢山の奥深くでしんしんと降りつづく雪のごとし。あるいは、自分にとってもっとも幸運な終わり方を夢想していこうとするような星回り。
日本が高度経済成長期のとば口に立った1957年にベストセラーになった『楢山節考(ならやまぶしこう)』という小説は、「姥捨て伝説」をモチーフにある貧しい山村に暮らす餓死寸前の人々の暮らしを描いたもので、時代とまったく逆行した内容でした。
70歳を迎え、近く「楢山」に捨てられる予定のおりん婆さんは、長生きを恥ずかしいと感じて、さながら嫁入りじみた妙な晴れがましさで自身の死を心待ちにしているのです。
やがておりんは息子の辰平の背に乗って山へ入ります。ほどなくして、無数の白骨が散乱する場所に着くと、躊躇する辰平に手で早く帰るよう指示し、そこに雪が降ってくる。それに先立って、「塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る」という民謡が挿入されるのですが、そこには次のような説明が付け加えられていました。
楢山へ行く日に雪が降ればその人は運がよい人であると云い伝えられていた。塩屋にはおとりさんという人はいないのであるが、何代か前には実在した人であって、その人が山へ行く日に雪が降ったということは運がよい人であるという代表人物で、歌になって伝えられているのである。
同時に、おりんを山に捨てに行く前日の晩のエピソードには、経験者が辰平に、大変だったら途中の谷底に落としてもいいのだと耳打ちする場面も描かれるのですが、深沢の作品世界というのは、どうも簡単に何か誰かが人を救ってくれる世界などとは対極の、いろんなことに理由なんかないんだっていう、虚無的な世界観が根底にあったように思います。
そういう「死んじゃったらそれまで」だし、どこかで生の悦楽を徹底的に突き放したような視点から書かれた作品を、「豊かな日本」の入口に立っていた多くの日本人が進んで読んでいた訳ですから、当時の人たちは現代の日本人よりよっぽど人生のなんたるかを分かっていたのではないでしょうか。
7日にてんびん座から数えて「後始末」を意味する12番目のおとめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけユーモアをもって、自身の生き様や理想の落ち着かせ方について思い巡らせてみるといいでしょう。
血まみれの平和か、必要かつ最低限の戦争か
「同じ人間、話せばわかりあえる」という考え方がありますが、こういう主張を真面目に信じているような類の人間が、実はいちばん戦争を生んでいる元凶なのではないでしょうか。つまり、彼らの主張が相手に通用しないとき、「話しても分かりあえないから人間ではない。だから殺してよい」と声高に主張するようになっていき、相手の言い分だけでなく、その存在までも切り捨ててしまうのです。
その意味では、『楢山節考』でおりん婆さんが躊躇する辰平に手で早く帰るよう指示したのは、そうした「分かり合えなさ」を受け入れつつ、相手に対する気遣いや配慮を忘れずにありたいという、彼女なりの美学の現われだったのだとも言えます。
平和への道が、結局は「異質な、分かりあえそうもない存在と、どうやって関わっていくべきか」を考え、現実的に対処していく先にしか開かれていないように、今週のてんびん座もまた、自分とは異質な考え方や苦手だと感じる相手との関与をどこへ着地させていくべきかということがテーマとなっていくように思います。
てんびん座の今週のキーワード
戦争を起こさせないために