てんびん座
重荷をおろす
物争いを見つめて
今週のてんびん座は、『葬の前の物争ひや冬日落つ』(石島雉子郎)という句のごとし。あるいは、味気ない人生を救ってくれる絶大な偉力を探し求めていこうとするような星回り。
ある故人を葬儀に出そうとするにあたって展開された情景を詠んだ一句。葬儀を取り仕切っている世話人たちのあいだで物争い(いさかい)が起こって葬を出すのが遅れている、短い冬の日がもう落ちかかっている、というのです。
それは身内にとっても参列側にとってもいかにも苦々しいことであり、あってはならないことと思われますが、とはいえ、その当事者たちのそれぞれの立場に立ってみれば、何かやむを得ぬ事情もあったのでしょう。
作者はあえてその物争いを非難してもおらず、かと言って、賛成してもいないのである。代わりに、ただ起きた事実をそのまま書き起こし、同時に、冬日が落ちかかった物淋しい光景を描いている。
すなわち、作者はここで物争いの善悪是非を論ずるよりも、それらをことごとく矮小な些事であるかのごとく圧倒する大自然の在りように慰めを見出していたのかも知れません。
1月22日にてんびん座から数えて「慰め」を意味する5番目のみずがめ座で新月を迎えるべく月を細めていく今週のあなたもまた、さりげなく些事に寄り添ってくれているこの世界の神秘にできるだけ目を向けていきたいところです。
苔(こけ)はいいぞ
例えば倉敷で蟲文庫という古本屋を営む田中美穂さんのエッセイ集『わたしの小さな古本屋』に入っている「苔観察日常」というエッセイなかに、次のようなくだりが出てきます。
ところで苔というのは、このような乾燥した状態のまま、当分は「眠って」いるのだそうで、何かのきっかけで条件が揃えば、またなんでもない顔をして、再び胞子を飛ばし、発芽して、それがまた胞子体をつくり……というふうなライフサイクルを繰り返すこともできるというのです。(中略)そして、それがいまもこうしてわたしたちの身の回りで普通に生きているのを見ていると、永瀬清子の「苔について」という詩にあるのですが、「あぁ、人間の負けだなあ」という思いがします。
そうそう、こんな風にときどき思いっきり負けを認めてみることが、私たちには必要なのではないでしょうか。「あの人に負けてるなぁ」ではなくて。だって、「あの人」くらいだと、本当は負けを認めることができていないし、かえって苦しくなりますから。
その意味で、今週のてんびん座もまた、公園や川のほとりに座り込んでぼんやりしたり、遠くを眺めたり、ただぶらぶらするだけの時間を大切にしてみるといいでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
あぁ、人間の負けだなあ