てんびん座
内なる自然を垣間見る
人間劇場の開幕
今週のてんびん座は、「かぶく」こととしての銭湯通いのごとし。あるいは、つくられた健康美などよりも、生々しくも美しいグロテスクさにこそ直面していこうとするような星回り。
現代社会において他人の視線を内面化していない人間というのはありえませんから、例えば、「人前に全裸で出る」ということは、1つの虚構であり、従ってそれを合法化している銭湯というのは、ある種の劇場に他ならないのだと言えます。
ひとつ所に裸の人間がぞろぞろと集まって、何やらしきりに立ったり座ったりしているのは、それ自体がすでに劇的であり、人工的であり、祝祭的な演目になっているのであって、伝統的な言い方をすれば銭湯にいる者たちというのは常軌を逸した「かぶき者」なのです。
というのも、裸でいることが自然体であったのははるか古代の昔であって、現代ではむしろ裸ほど不自然で、異常態であるものはないから。ゆえに、銭湯で演じられる“劇”は、大抵しれーっとした顔で何気なく演じられることがほとんどであるにも関わらず、どこか美しく、それでいてグロテスクで、多くの人の心をそそるはず。
裸というのは普段見てはならぬ/見せてはならぬ不可視の現実の開陳であり、そうした場にみずからおもむくということは、それ自体が緊張感を孕んだ視線同士の劇的出会いを生成すること、言わば人間劇場の開幕なのです。
その意味で、11月1日にてんびん座から数えて「祝祭」を意味する5番目のみずがめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした不自然な異常態へと積極的に変じてみるべし。
自然態のその先へ
「自然態」と私たちはつい簡単に口にしてしまいますが、それは「内なる自然」の発見だとか、「自然人」となることとセットになっていることも見逃してはなりません。
内なる自然の発見とは、つまり既存の社会常識や植えつけられた価値観と対立してはいるが、その一方でごく自然なことのようにも思える感情や行動や本能を垣間見ていくこと。
さらに「自然人」とは、必ずしも人里離れた山奥や森の中に住んだり、昔ながらの生活をしたりする人のことではなくて、わかりきったものとされているものや、自明のものの中に、新鮮な印象や味わいを発見する、自分のしている営みの中に畏怖や心の底からの親しみを見出せる人のことを指しています。
おそらく「かぶく」ことや、ホラティウスの有名な「Carpe diem(カルペ・ディエム/この日を掴め)」という言葉もまた、そうした「自然人」的な営み、ないし「内なる自然の発見」が放った一瞬を現しているという点では一致しているのではないでしょうか。
今週のてんびん座もまた、劇的に心波立つ体験のなかで、自然がきらめく一瞬を感じとってみてください。
てんびん座の今週のキーワード
Carpe diem