てんびん座
沈黙と臨在
哀しい性
今週のてんびん座は、『露の世のもめを淋しく坐りをり』(清原枴童)という句のごとし。あるいは、なるべく語らずして語っていこうとするような星回り。
「露」という言葉はある時は白光を放ち七色に輝く様が詠まれる一方で、「露の世」や「露の身」のように儚さや侘しさを詠んだ句も多く見られます。掲句もそのひとつである訳ですが、一風変わっているのは静まり返った自然に接することでではなく、人の世の争いごとに接することで、かえって淋しさを感じて詠んでいること。
「もめ」ごとの煩わしさや醜さの埒外にあって、静かさの中でぽつねんと坐しながら、自己のなかにも人間の生の淋しさ、すなわちどうしようもなく誰かを構わずにはいられない哀しい性(さが)のようなものがあることを見出し、それを見つめている。そうした内省的なつぶやきが句の根底にある訳です。
これは単に他人事として突き放しているというより、自らもその渦中の一端にあるはずのもめごとの只中にあって自己を主張しないばかりか、「露の世」といった人生観さえも誰かに押しつけないでいられたことの得難さを、そっと指し示そうとしたものと言えるかも知れません。
同様に、25日にてんびん座から数えて「実感の深まり」を意味する2番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、何かをいかに打ち出していくかということより、いかにそれを控えて、内に秘めていけるかがテーマとなっていくでしょう。
『ベルリン・天使の詩』
天使というと、背中に小さな羽根をつけた裸の幼児や透き通るような羽衣を身に着けた天女のような女性が連想しますが、この映画の天使たちはロングコートを着た中年男性で、彼らは廃墟の上から、また教会の尖塔の上から地上の人々を見守り、互いに情報交換しながら苦悩に満ちた人々に寄り添い、彼らの心の声に耳を傾けています。
彼らの目にはすべての風景はモノクロに映り、子供には彼らの姿が見えますが、大人には決して見えません。物語はそんな天使のひとりダミエルが、人間の女性に恋をして、天使の身分を捨て人間になろうと選択することから動いていくのですが、ここでは割愛します。
監督のヴィム・ベンダースはベルリンの街のあちこちに見られる天使像に魅せられ、この作品を制作したと言われていますが、ある意味でそうしたヴェンダースの心に強い印象を残したベルリンの風景は、いまのあなたの心象風景ともどこか通じていくように思います。
これを読んでいるあなたは大人でしょうから、きっと天使の姿は見えないでしょう。けれど、映画の中に登場するかつて天使だった俳優が目に見えない彼らの存在を感じることができたように、その気になりさえすれば天使の臨在のかすかな気配や片鱗のようなものを見つけることができるはず。
案外、天使というのはしれっとあなたのそばに寄り添っては、けむりのように消えていく。そんな接近を繰り返しているのかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
恩寵としての気配や痕跡