てんびん座
垂直的な時間の営み
豊かな孤独
今週のてんびん座は、『灰皿を持ちて夜長に加わりぬ』(後藤比奈央)という句のごとし。あるいは、そっと密やかに精神を耕していこうとするような星回り。
古のむかしから、夜の闇は人間にとって言い知れない恐怖と不安の源であり、文明文化とはつねにそうした“魂の暗い夜”や“影の支配”に吞み込まれることなく対抗し、乗り越えていくための手段として延々と発明と工夫が重ねられてきたのだと言えます。
そしてそれはひとりの人間においても同様であり、人はみな自分なりの仕方で闇との対し方や折り合いのつけ方を見出し、少しずつ洗練させていくのであり、人生とはつねにそうした試行錯誤の途上にあるはず。
掲句もまた、ともすると持て余しがちな秋の夜長の、作者なりの味わい方を端的に示しているのでしょう。洗った灰皿を手にして書斎に向かうことは、彼にとって夜の静かな時間を豊かさへと変えていくための儀式であり、そのふるまいこそが書斎を神殿へと変える大切な鍵なのです。
秋は万物が静かな影を帯びる季節ですが、作者は夜の闇をただ打ち消そうとする代わりに、「夜長に加わり」、秋そのものに身を浸していくことで、内なる不安や古傷の疼きを癒やそうとしているのかも知れません。
9月18日にてんびん座から数えて「裂け目」を意味する9番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、たえず生成変化しているこの世の時間の流れから一寸だけ抜け出た先にある“孤独のひととき”を確保していくべし。
分かりやすい説明でどうしても抜け落ちてしまうものをこそ大切に
世界的な大数学者である岡潔と、日本を代表する批評家である小林秀雄のあいだで交わされた対談集『人間の建設』の「人間と人生への無知」という章のなかに、次のようなやり取りがあります。
岡「…時というものがなぜあるのか、どこからくるのか、ということは、まことに不思議ですが、強いて分類すれば、時間は情緒に近いのです。」
小林「アウグスチヌスが「コンフェッション(懺悔録)」のなかで、時というものを説明しろといったらおれは知らないと言う、説明しなくてもいいというなら、おれは知っていると言うと書いていますね。」
岡「そうですか。かなり深く自分というものを掘り下げておりますね。時というものは、生きるという言葉の内容のほとんど全部を説明しているのですね。」
注目すべきは「説明」と「知らない」いう言葉の使い方であり、おいそれと他人に分かるよう説明することなんかできないという境地をきちんと大事にしているかどうかを、岡が「かなり深く自分というものを掘り下げて」いるという風に捉えている点です。
その意味で今週のてんびん座もまた、本当に分かりにくいことにあえて首を突っ込み、掘り下げていくだけの気概を持ち合わせていきたいところ。
てんびん座の今週のキーワード
説明しろといったらおれは知らないが、説明しなくてもいいというならおれは知っている