てんびん座
共同体的な制作へ
自分が発する響きに対する「責任」
今週のてんびん座は、『水音と虫の音と我が心音と」(西村和子)という句のごとし。あるいは、精神を研ぎ澄ませて応えるべき波長や声に応えていこうとするような星回り。
水音と秋の虫のかなでる声と、自身の心臓の音とが響き続けているという。なんとなく、小さな川のほとりを無心で歩いているような情景が浮かんでくる一句。
「音」という字が3度も使われていますが、「みずおと」「むしのね」「しんおん」とすべて異なる読み方がされるようになっており、そのこと自体が、3つの音がたがいに混じり合うことなく、秋の研ぎ澄まされた空気のなか、作者によってはっきりと聞き分けられていることを示しています。
とはいえ、それらはバラバラに鳴り響いているわけでもなく、繰り返し音読していくうちに、次第に一句全体がひとつの響きへとそろっていくように感じられてくるはず。祈りとは、単なる願いや望みとは違って、その実現に際して、みずからその代償を負いたいという意志の現れであり、度重なる反復のなかである種の「責任responsibility」が強化されていく過程でも訳ですが、その意味で掲句もまた1つの祈りの声なのだと言えるでしょう。
9月4日にてんびん座から数えて「反復と強化」を意味する3番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分の心音と重ねるべき「おと」や「ねいろ」をみずからの意志で選り分けていくべし。
「座」の伝統
一定の土地に集団で定住し、生活圏を自給自足で回るようにしてきた農耕社会を長らく続けてきた日本では、その文化形成においても、和歌における贈答歌や歌合わせなどに顕著に見られるように、創作と享受とが同じ場において営まれ、作者と読者が混然一体となった共同体単位(「座」)で一連の作品を生み出すという伝統がありました。
例えば現存する日本最古の歌集である『万葉集』。それは和歌が、農耕生活の祭りの場における集団的願望の表現行為として発生して以来、民謡的なものをバックに、個と集団とが一体化してかたち、ないし集団における唱和のかたちをとって展開を重ねてきたものが結実した古代的達成のピークに位置づけることができるでしょう。
そしてその背景には、壮絶な内乱によって大量の敗者や変死者が発生し、その怨念が道という道に溢れているという、凄まじい「滅び」や「喪失」の現実、すなわち「座の異常」があったのです。
その意味で、今週のてんびん座もまた、誰かと心を通わせながら共に一つの作品、一つの文化、一つの響きの形成に参与していくつもりで過ごしてみるといいでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
集団的な唱和としての文化