てんびん座
惜しみつつ手放す
「花」として送る
今週のてんびん座は、「雛しまふ跡に掃(はか)るる花色々」(炭太祇)という句のごとし。あるいは、心のどこかでひっかかっていたもののフックが取れていくような星回り。
雛飾りを片付けたあと、座敷を掃いているところ。おそらく何段もある立派なもので、その跡には紙くずや紐の切れ端などが散らばっていたはず。
当然、掲句にあるように実際に「色々」の花があるわけではありません。お雛さまの形見と思えばこそ、ちりやゴミでさえ花びらのように見えたのでしょう。
どんなものであれ、賑やかなものというのは、なぜか侘しさがつきまとう。祭りの夜に、提灯をもって小さな橋を向こう岸へと渡っていった女の子。放課後の教室で、誰かの机の上に取り残された手提げ袋。いつまでも捨てられない飼い犬のお気に入りだったおもちゃ。
そういう「色々」なものを、人は「花」として受け取っては、いつまでも始末をつけることができずに心の隙間に溜めてしまう。何か誰かを心から「惜しむ」ということは、そういうことなのかも知れません。
その意味で、3月3日にてんびん座から数えて「祓い清め」を意味する6番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、もし心から失うことが耐えがたいと感じているものがあるならば、それが何らかの形であぶり出されていきやすいでしょう。
「市」に送り出す
古代世界や中世において、自分自身とその持ち物とはきわめて強く結びついていましたから、物と物との交換や贈与互酬が繰り返されると、同じ共同体内の絆が強く密接になりすぎてしまい、それでは交易が成り立ち得ず、物自体の交換を可能にするために「市」という手続きが設けられるようになっていきました。
市の立つ場所にはさまざまな特徴があり、大樹が立っている場所だったり、虹が立つとそこに市を立てなければならなかったり、そのほかに、河原や中洲、浜、坂、山の根など、自然と人間社会との<境>や、神仏の世界と俗界の<境>で、聖なるものに結びついた場が選ばれました。
そこに入ったものは、俗界からいったん縁が切れて神のものになる。それゆえにこそ、後腐れなく物を物として相互に交換していくことができた。逆に言えば、市での交易というのは神を喜ばせる行為であると同時に、人間の世界のしがらみを断ち切って、水に流していくための不可欠な行事でもあったのではないでしょうか。
今週のてんびん座もまた、自分が知らず知らずに持ち続けていたモノを「市」に送り出していくようなつもりで、ずっと手元にあったものを手放してみるといいかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
俗と聖の境い目